2012年4月29日

岡山城・瀬戸大橋・丸亀城・田村神社・高松城・鳴門の渦潮

□岡山城

戦国時代に宇喜多直家が金光(かなみつ)氏の居城を略奪。その子で豊臣家五大老の一人、秀家までの間に大規模な改築が行われ、近世城郭の基礎ができた。しかし、秀家は関が原の戦いで敗れ八丈島に流刑。代わって小早川秀秋が入城するも2年後に急死。以後、姫路藩主、池田輝政の一族が明治まで代々城主となった。天守は昭和20年に空襲で焼失。昭和41年に鉄筋コンクリートで再建された。8:40着。城内は緑も多くきれいだったけど、天守ビルは入場料がなんと800円。中には入らず、入り口で100名城スタンプだけ押した。

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■吉備津神社

昨日もらえなかった御朱印をもらいに立ち寄る。神社の前にある土産物屋のおかあさんが感じのよい人で、きびだんごを買ったら50円まけてくれた。ラッキー。

□瀬戸大橋・与島SA

四国へ。上陸は新婚旅行以来10年ぶり。橋を渡るときはテンションあがった。

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□丸亀城

豊臣時代、讃岐国に入った生駒親正が高松城の支城として築く。生駒氏4代、山崎氏3代の後、1658年に京極高和が入り、以降京極氏が明治まで城主を務めた。大手門をくぐった後、かなりの急坂を登り、三の丸、二の丸、本丸へ。本丸には小さい天守がある。これは1660年完成のもの。城からは瀬戸大橋や讃岐富士など見えて、いいながめだった。

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■田村神社

讃岐国一宮。七福神や十二支の像などなんでもあり。最初節操ないと思ったが、まわりをみると、赤ちゃんのお参りや祈祷で訪れている人が多い。地元の人に愛されている感じは悪くなかった。

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□高松城

豊臣時代、讃岐国に入った生駒親正が築城。生駒氏は江戸時代になっても幕府からの信頼が厚かったが、4代目のときお家騒動が起こり、改易。その後、水戸徳川家初代藩主徳川頼房の長男、松平頼重が入った。海に面し、海水が内堀に入り込む。天守台など工事中だったのが少し残念。

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□渦の道

徳島県の鳴門大橋の下から渦潮をみる施設。10年前の新婚旅行で一度訪れたが、そのときはまさかの休館日で入れず、渦潮は遊覧船で観た。今回はリベンジ。着いたのは17:30。ちょうど干潮の時刻。ものずごい強風のなか見学ポイントまで歩く。渦はみえたけど、びっくりするほど巻いてなかった。受付のおじさんの話によれば5月3日あたりが見頃だそうだ。

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18:40に現地を出発。大きな渋滞はなかったが、休憩1度で自宅到着は2:30。本日の走行距離は804km。疲れたけど満足。次は天橋立方面に行こうかな。

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2012年4月28日

伊和神社・津山城跡・中山神社・石上布都魂神社・吉備津彦神社・吉備津神社

■伊和神社(いわじんじゃ)

0:40起床、1:00出発。事前の調査ではこの時間に出れば大きな渋滞は回避できるはずだった。だが、名神高速の大阪に入る手前から宝塚を過ぎるところまで、しっかり30kmの渋滞にはまる。出発から7時間経過後の渋滞はつらい。着くのは9:30ぐらいと思っていたのに、実際は11:00。10時間もかかった。
播磨国一宮。道をはさんだ向かいに道の駅があり、そこが神社の駐車場も兼ねている。道の駅は車でいっぱいだったけど、参拝客はその割りでもなかった。他に何かあるのだろうか。ある神社通のかたが、自身のブログでいい雰囲気の場所と書かれていたが、暑さのせいか、自分はあまりピンとこず。11:30出発。

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□津山城跡

12:40着。「本能寺の変」で討死した森蘭丸の弟、森忠政が1604年から13年かけて築いた城。その後、1698年に徳川家康の次男で2代将軍秀忠の兄である秀康の流れをくむ越前松平家の宣富が入り、以降明治の廃藩置県まで代々松平家が城主を務めた。
城下からの比高差約50mの鶴山(つやま)の上に、石垣を三段に整形し、本丸、二の丸、三の丸が築かれた。明治以降はたくさんの桜が植えられ、現在は桜の名所となっているそう。もう桜は咲いていなかったが、全体的に清潔感があり、鮮やかな緑が大変美しい場所だった。13:20出発。

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■中山神社(なかやまじんじゃ)

13:40着。美作国一宮。神社に向かう細い道、両脇に建つ家々の前に紙垂(しで)を垂らしたひもがはられている様が、なんとなく神聖な雰囲気。鳥居は1791年に作られたもので両柱を支える貫(ぬき)が柱を出ない形状。その形はこの神社のものが典型といわれ「中山鳥居」とよばれている。萱葺きの社殿も美しかった。14:10出発。

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■石上布都魂神社(いそのかみふつみたまじんじゃ)

15:12着。備前国一宮。小さな神社で住所を入れてもナビに出てこない。幸い迷わず着けたが、わかりにくい場所にあるのは確か。細道に入り、参詣道と書かれた看板の前に車を止め、らせん状の坂道を息をきらしながら登る。境内に着いてすぐ、神社の掃除をしていたおばさんに「ようこそ」と声をかけられた。拝殿には御朱印は宮司宅までと書かれた紙が貼ってあったが、ちょうど宮司さんが車で来られ、その場で書いていただけた。宮司さんはすぐ立ち去ってしまったのでとてもラッキーだった。15:35出発。

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■吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)

16:35着。備前国一宮。社務所はまだ開いており、急いで参拝を済ませ御朱印をもらう。対応してくれた巫女さんは清楚で透明感のあるきれいな人だった。「何時まで開いていますか」と聞いたところ、「社務所は17:00までで、神社自体は20:00まで開いている」とのこと。「隣の吉備津神社はどうですか」と聞くと、「わからないが、社務所は17:00まで神社は18:00まででは」とのこと。広く感じもいい神社だが境内は後でまわるとして、先に吉備津神社に行くことにした。17:45再び戻り、境内を散策。18:15出発。

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■吉備津神社(きびつじんじゃ)

16:45着。備中国一宮。社務所はすでに閉まっていた。神社は18:00まで開いているようなので、御朱印は明日にして、参拝とまわりの散策をする。こちらも立派な神社。ここは三備(備前・備中・備後)の一宮とされており、吉備の国が3つに分かれた際に、備前の吉備津彦神社、備後の吉備津神社はここから分祀されたといわれている。神社の前には土産物屋も2件あって、観光客風の参拝客も多かった。17:29出発。

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今日はホント頑張ったよ。岡山駅近くのホテルに宿泊。本日の走行距離757km。

2012年4月16日

足利氏館・金山城跡

今日は100名城ドライブ。

□足利氏館跡(栃木県足利市)

足利氏は56代清和天皇を祖とする清和源氏の一流である河内源氏の棟梁、源義家の四男・源義国が下野国足利荘を領し、その次男・源義康以降の子孫が足利氏を称したことにはじまる。ちなみに新田氏は源義国の長男・源義重からはじまっており、足利氏と新田氏は同祖の関係。後に室町幕府を開いた尊氏は8代目。この足利氏館は平安時代末期から鎌倉時代初期の頃、2代目の義兼が作ったといわれており、そのとき寺も併設した。これがのちに義兼の戒名をとった鑁阿寺(ばんなじ)となり、現在に至る。城(館)としての名残は周囲を囲む堀くらいか。

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□足利学校

100名城とは無関係だが、足利氏館から歩いて5分程度だったので立ち寄った。足利学校は創建年代は定かでないが、室町時代中期、当時足利の領主だった上杉憲実が再興した高等教育機関。戦国時代には宣教師フランシスコ・ザビエルによって海外にも紹介された。江戸中期まで栄えるが、その後衰退。大正10年、足利学校の敷地と孔子廟や学校門などの現存する建物は国の指定史跡となり、保存がはかられることになった。昭和から平成にかけて、史跡の保存整備事業が行われ、江戸中期の栄えた時代の姿が復元されている。

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□金山城跡(群馬県太田市)

室町時代中期の武将、岩松家純が標高235m金山の頂上に築いた山城。岩松氏は、足利氏2代目義兼の庶長子足利義純と新田氏の2代目義兼の娘との間に生まれた子である時兼が、父から勘当され、母の実家、新田氏からその所領の多くを相続しはじまった。いまも新田家として存続している。城はその後、横瀬氏、北条氏と主が移った後、北条氏が小田原征伐で豊臣秀吉に敗れた際に放棄し、廃城となった。横瀬氏の頃には上杉謙信や北条氏の攻撃を退けるなど、堅城ぶりを証明。明治になり、本丸跡には新田神社が創建された。

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今回行った3箇所はどこもきれいに整備されており、ちょうど桜も満開。観光客も適度にいて、ちょっと出かけるには、いいところだった。

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