2012年2月12日

福島の一之宮

久しぶりの一之宮巡りは福島の三社。これまで原発から近い(約60Km)場所ということで少しためらっていたが、近くで行ける場所がなくなってきたので、思いきって行ってみた。

■石都々古和気神社(いわつつこわけ)

家を出たのは11:45。途中那須高原SAで昼食をとり、着いたのは15:00ちょっと前。車を何処に止めていいかわからず、そばにあった石川町の役場に止めた。入り口の階段の脇に境内案内図の看板があって、見ると少し歩くよう。階段を上がっていったら雪道になった。途中に大きな石がたくさんあり、ひとつづつ名前を書いた看板が立っている。天狗石(Tenguishi)といった風。ローマ字表記がちょっと不思議。ほどなく社殿に着いた。そこは小山の頂上で町が見下ろせる。人気(ひとけ)もなく、雪に囲まれた雰囲気がすがすがしく感じた。入り口まで戻り少し離れた社務所で御朱印をもらう。おばあさんが応対してくれた。奥では祈祷が行われていた。

20120212_01.jpg

■都々古和気神社・馬場(つつこわけ)

15:30に石川町を出て、棚倉(たなぐら)町へ。ここには同じ名前の神社が2社ある。まず馬場とよばれているほうへ。16:00着。広い境内。こちらも雪が残っている。社屋は古く、朽ちているような摂社、末社もあるが、雪のおかげがイメージは悪くない。ここも人影なし。参拝を済ませ、神社のそばにある宮司の自宅で御朱印をもらう。と、ここに先客がいた。比較的若い兄ちゃんが、玄関に座って宮司と話しこんでいる。宮司は年配のおじさんで、もう一人その母親と思われるおばあさんと二人、玄関に置かれたコタツに入っていた。おばあさんに通されて、兄ちゃんの隣に腰掛けるが、兄ちゃんは構わずじゃべり続けている。このあたりの歴史の話、天皇の系譜の話、俺は数学が得意だった、とかいろいろ。ようやく兄ちゃんが帰り、自分の番になった。宮司も話好き。長話の原因はこちらにもあったよう。少し付き合ってたら、17:00になってしまった。結局宮司宅に30分もいた。待たせて悪かったとおばあさんが帰りに饅頭をくれた。

20120212_02.jpg

■都々古別神社・矢槻(つつこわけ)

急いで矢槻とよばれるほうへ。17:15着。もう暗くなりかけている。そこには先ほどの兄ちゃんの姿が。社務所を覗いているがもう閉まっているようだ。さっきの宮司の話では、ここは前の宮司が亡くなって、いまは奥さんとその娘さんでやっている。だいたい社務所にいるが、いなければ自宅に行けばいいとのことだった。重なるといやだなぁと思いつつ、参拝を済ませ、少し周囲を見ているうちに兄ちゃんはいなくなった。
宮司宅を探す。先ほどの宮司の家には何故かこの神社から宮司宅までの地図があり、神社から300mぐらい離れているとあった。が、ここには案内は出ていない。よく見ておけばよかった。時間は17:30ちょっと前。一之宮の本に載っていた連絡先に電話すると女性が出て、「うちは関係ない。間違い電話ではないか」とのこと。
さっきの宮司はわからなければ近所の人に聞けばいいともいっており、近くの商店に入って聞いてみた。人のよさそうなおじさんが、前の道をまっすぐ行って右に曲がりすぐのところ、と教えてくれた。だけど右に曲がる場所がわからない。うろうろしてたら、それらしいところからさっきの兄ちゃんとおぼしき車が出てきた。
その道に入り車を止める。あたりはもう暗い。何軒か並ぶうちそれっぽい明かりの点いている家の呼び鈴を押してみた。反応なし。手前の家のおばあさんに聞いてみると、やっぱりさっきの家だった。おばあさんに声をかけてもらうと、娘さんとおぼしき人がしぶしぶ出てきた。
「御朱印を...」というと、「神社は時間になると閉まるんです。ここでは書けません」といわれ、「そうですか...」。少し間があって、「どこから来たんですか」「東京です」「じゃあ書きますから、神社に戻ってください」「申し訳ありません。ありがとうございます」
こんな調子でなんとか御朱印を頂くことができた。時間は17:45を過ぎていた。御朱印と一緒にもらったパンフレットにはさっきの電話番号が。おそらく出たのはこの娘さん。さっきの兄ちゃん、宮司宅にたどり着けたか定かでないが、たどり着いたにしても御朱印はもらえなかったに違いない。

20120212_03.jpg

帰りは蓮田SAで夕食をとり、自宅着は21:10。往復まったく渋滞にひっかからなかった。いろいろ印象に残る行程だった。


2012年2月11日

日本のはじまり

一之宮巡りにあたり気になったので調べてみた。

日本の神話では、世界は「高天原」に次々に神が生まれたところからはじまる。

渾沌から天地がわかれ、性別のない神々が生まれたあと、男女の別のある神々が生まれた。
天地開闢(てんちかいびゃく)における最後に、イザナギ(男神)イザナミ(女神)が生まれる。
イザナギ・イザナミは「みとのまぐわい」をし、淡路島・隠岐の島をはじめとする日本列島の島々、石・木・海(大綿津見神・おおわたつみ)・水・風・山(大山津見神・おおやまつみ)・野・火(迦具土神・かぐつち)など森羅万象の神を生む。
イザナミが火の神を産んだ際の火傷がもとで亡くなると、イザナギは悲しみ、死者の行く黄泉国を訪れる。しかし、そこでイザナミの腐敗し変わり果てた姿を見て思いは冷め、逃げ出すと追われ、命からがら帰還する。
その後、イザナギは黄泉国の穢れを落とすため「日向」の地で禊を行う。するとそこから様々な神が生まれ、その最後に、日の神・アマテラスオオミカミ、月の神・ツキヨミノミコトと弟神・スサノヲノミコトが生まれた。
アマテラスオオミカミは、神々の世界である高天原を主宰する。ある日、スサノヲの狼藉に怒り、アマテラスオオミカミは天の岩戸に隠れ、世界は暗闇になってしまった。
神々はオモイカネ(男神)の案によりさまざまな儀式をおこなった。アメノウズメ(女神)の裸踊りでアマテラスオオミカミは岩戸から引き出され、フトダマ(男神)により岩戸の入り口には戻れないよう注連縄が張られた。
その後、神々はスサノヲを追放し、スサノヲは「出雲」の地に下った。スサノヲはそこでヤマタノオロチの生贄にされそうになっていたクシナダヒメと出会い、ヤマタノオロチを退治する。
スサノヲの子孫、オオクニヌシノミコトは「葦原中国(あしはらのなかつくに)」を平定する。しかし、高天原の神々(天津神)は葦原中国を統治するべきなのは天津神、とりわけアマテラスオオミカミの子孫だとし、出雲に使者を送り、オオクニヌシノミコトに国土の献上を命じた。オオクニヌシノミコトは国を譲り引退。アマテラスオオミカミは、孫のニニギノミコトを日向に降臨させた。その際、国津神(地の神々)であるサルタヒコが先導を行った。ニニギノミコトに随伴し天降りしたアメノウズメは、そのままサルタヒコに仕えることになった。
ニニギの曾孫、カムヤマトイワレヒコノミコトは日向から東征し、大和の橿原宮で即位。初代の天皇となった。これが神武天皇。以降天皇の系譜となる。
2代から9代までの天皇は実在性が薄く、10代の崇神天皇以降、実在の人物といわれている。

古事記と日本書紀で異なるところもあるが、大筋は一緒。
神話と史実が組み合わさった話はなかなかおもしろい。

今日、建国記念日は紀元前660年に神武天皇が即位したとされている日。偶然つながった。

1