100名城:平戸城(長崎県平戸市)に行く

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元禄17年(1704)年、九州本土からは狭い海峡を挟んだ対岸、平戸島北部沿岸の突き出た丘陵上に、 平戸藩5代藩主松浦棟(まつらたかし)によって築かれた城。 平安時代から戦国時代にかけて、肥前松浦地方(現在の長崎県佐賀県北部)には松浦党(まつらとう)と呼ばれる武士団の連合があり、そのなかから松浦隆信が戦国大名となりまし …続きを読む

日本本土四極到達証明書集め:日本本土最西端・神崎鼻公園に行く

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かれこれ6年前、2017年8月に100名城「根室半島チャシ跡群」に行ったときに、 100名城スタンプ設置場所の根室市観光協会で、たまたま「日本本土四極証明書」をもらいました。 四極証明書とは、以下稚内市サイトより引用。 平成28年(2016年)4月から、日本本土の「最北端」「最東端」「最南端」「最西端」ではそ …続きを読む

続100名城:中津城(大分県中津市)に行く

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秀吉による九州平定後、豊前8郡のうち6郡を与えられた黒田官兵衛が中津川河口に築城。 黒田氏が関ケ原の戦いの功で筑前に移ると、細川忠興が豊前一国、豊後2郡の領主として入城。 忠興は中津城と毛利勝信の居城だった小倉城を改築。小倉城に藩庁を移し、中津城を自身の隠居城にしました。 1632年、細川氏が加藤氏の改易に伴って熊本 …続きを読む

続100名城:小倉城(福岡県北九州市)に行く

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九州おさえの地として古くから注目されていた小倉。現在地に最初に城を築いたのは毛利元就。 秀吉による九州平定後、小倉を領した森吉成(毛利勝信)によって織豊系城郭に改修されたといわれています。 現在の城の形ができたのは、関ケ原の戦い後に豊前一国と豊後2郡を与えられた細川忠興の時代。 忠興ははじめ黒田氏の居城だった中津城に …続きを読む