元禄17年(1704)年、九州本土からは狭い海峡を挟んだ対岸、平戸島北部沿岸の突き出た丘陵上に、 平戸藩5代藩主松浦棟(まつらたかし)によって築かれた城。 平安時代から戦国時代にかけて、肥前松浦地方(現在の長崎県佐賀県北部)には松浦党(まつらとう)と呼ばれる武士団の連合があり、そのなかから松浦隆信が戦国大名となりまし …続きを読む
続100名城:中津城(大分県中津市)に行く
秀吉による九州平定後、豊前8郡のうち6郡を与えられた黒田官兵衛が中津川河口に築城。 黒田氏が関ケ原の戦いの功で筑前に移ると、細川忠興が豊前一国、豊後2郡の領主として入城。 忠興は中津城と毛利勝信の居城だった小倉城を改築。小倉城に藩庁を移し、中津城を自身の隠居城にしました。 1632年、細川氏が加藤氏の改易に伴って熊本 …続きを読む
続100名城:小倉城(福岡県北九州市)に行く
九州おさえの地として古くから注目されていた小倉。現在地に最初に城を築いたのは毛利元就。 秀吉による九州平定後、小倉を領した森吉成(毛利勝信)によって織豊系城郭に改修されたといわれています。 現在の城の形ができたのは、関ケ原の戦い後に豊前一国と豊後2郡を与えられた細川忠興の時代。 忠興ははじめ黒田氏の居城だった中津城に …続きを読む
続100名城:唐津城(佐賀県唐津市)に行く
築城者は尾張出身の武将、寺沢広高。秀吉の家臣時代に唐津を拝領し、秀吉死去後は家康に与しました。 築城開始は1602年。築城には九州諸大名の加勢を受け、名護屋城の解体資材を用いたともいわれています。 江戸末期の唐津城下町絵図。北の海は玄界灘(唐津湾)で、東の大きな川は松浦川(まつうらがわ)。 本丸のあ …続きを読む
100名城:島原城(長崎県島原市)に行く
島原城は大坂の陣後に大和五條藩より着任した新藩主・松倉重政が1618年から4~7の歳月をかけて築いた城。 石高に見合わぬ過分な城で、城普請の費用を確保するため領民に通常の2倍の年貢を課したことが、1637-38年に起こった島原の乱の一因といわれています。 前藩主有馬氏時代からの海外貿易による利益と松倉氏の新興大名とし …続きを読む