永平寺の後、「一乗谷朝倉氏遺跡」に行きました。朝から降っていた雨は小降りになりました。 ここは1573年織田信長に焼き払われるまで、103年にわたり栄えた城下町の跡です。 復元町並などきれいに整備されていましたが、訪れている人は少数でした・・。 滞在時間は約1時間でした。(11:00-12:00)
一乗谷朝倉氏遺跡
南北朝時代の頃より朝倉氏が本拠とした場所。
朝倉氏は当初足利氏の一族の斯波氏に仕えていましたが、
早くより越前国を支配し、
その余勢で隣国の若狭、加賀、近江、美濃にも出兵していました。
一乗谷は、応仁の乱で荒廃した京都から多くの文化人が避難し、
京文化が栄えました。朝倉孝景の頃に最盛期を迎えます。
孝景の子・義景の代になり、
義景は謀反で殺された13代将軍足利義輝の弟・義昭を庇護しましたが、
これを擁しての上洛をせず、
義昭は義景の元を去って、織田信長を頼ります。
1568年、義昭は上洛を果たし、15代将軍になりました。
政権を掌握した信長は、義景に上洛を要請しますが、
義景はこれに従わず、織田軍の攻撃を受けることになりました。
1573年、織田軍に一乗谷城を攻められ、戦国大名としての朝倉氏は滅亡します。
信長は城を朝倉氏の旧臣に与えましたが、
1575年に一揆起こり、一向一揆が占領しました。
信長が一揆を平定すると、越前八郡は柴田勝家に与えられました。
勝家は、水運・陸運の便のよい北ノ庄を本拠としました。
復元町並
冬にソフトバンクのCM撮影がされたらしいです。雪はありませんが、同じような雰囲気で撮ってみました。
復興武家屋敷
平面復元
諏訪館跡庭園
諏訪館は、義景夫人の館。
朝倉義景館跡
唐門
朝倉氏の遺構ではなく、義景の菩提を弔うために作られたものとのことです。