現存12天守のひとつの城です。たくさんの見学客が来ていました。滞在時間は30分(12:50-13:20)。
丸岡城
1575年、織田信長は、越前で一向一揆を平定すると、
重臣「柴田勝家」に、北ノ庄城をはじめ越前国のほぼ一体を与えました。
丸岡城は、その翌年、勝家の甥・勝豊によって築城されます。
1582年、本能寺の変後、豊臣秀吉、池田恒興、丹羽長秀、柴田勝家で行われた「清州会議」の結果、
勝豊は長浜城に移ることとなりました。
勝豊はその後、秀吉方に寝返りますが、賤ヶ岳の戦いの直前で亡くなりました。
1583年、勝家が賤ヶ岳の戦いで豊臣秀吉に滅ぼされると、
勝家の旧領は「丹羽長秀」に与えられ、家臣の「青山宗勝」を城代としました。
1585年、長秀が死去すると、宗勝はそのまま秀吉の家臣となり、1589年に丸岡城主となりました。
1600年、関ヶ原の戦いで宗勝は西軍につき、戦後改易。
越前には、徳川家康の次男・結城秀康が入封し、丸岡城には城代が置かれます。
1607年、結城秀康の死去により長男・松平忠直が越前藩を継いだ後、
1613年、松平忠直の附家老「本多成重」が城主となりました。
1624年、福井藩より独立、丸岡藩を立藩します。
1695年、本多氏が御家騒動で改易されると、
戦国時代肥前国の大名だった「有馬晴信」の流れの有馬氏が入城し、
そのまま明治維新を迎えました。
天守
現存する最古の天守です。
鯱(石製しゃち)
元々木彫銅板張りであったものを、昭和15-17年の修理の際に、石製の鯱に改めたもの。
天守内部
模型
昔は水堀に囲まれたお城でした。