奈良盆地の東にそびえる三輪山をご神体とする神社。 三輪山の北西麓には大和王権発祥の地ともいわれる纒向遺跡があります。
大神神社(おおみわじんじゃ)の御祭神と由緒
御祭神は、出雲の大国主神の和魂とされる大物主神。
記紀神話には、スサノオの末裔、大国主神が出雲国で国造りを行なっていたとき、
高天原から来て国造りに協力してきたスクナビコが常世に帰り困っていたところ、
海を照らしながら現れた神が「私を大和国の三輪山に祀れば国造りに協力しよう」
と述べたという話があり、
こうしてオオモノヌシが祀られたのが大神神社の起源といわれています。
大和を平定し、初代天皇として即位した神武天皇は、
オオモノヌシの娘、イスケヨリヒメを皇后として迎えました。
10代崇神(すじん)天皇の時代に大和国では疫病が大流行し、多くの人が亡くなりました。
このとき、大物主神が天皇の夢枕に現れ「我が子孫の大直禰子命(オオタタネコ)に私を祭らせれば、
祟りも収まり、国も平安になるであろう」と神託を述べます。
倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメノカミ)、大水口宿禰(オオミクチノスクネ)らも天皇に同じ夢を見たと報告し、
天皇がその神託に従ってオオタタネコを大神神社の祭主としたところ、疫病が終息したといわれています。
かつて、高天原から神武天皇の曽祖父にあたるニニギが葦原中国に降臨しましたが、
それより前に「ニギハヤヒ」という神さまが先に地上に降臨していたといわれています。
出雲の国譲りが、オオクニヌシから「ニギハヤヒ」に対して行われたものとすれば、
ニギハヤヒが出雲や大和をおさえていたところを、神武天皇が後から侵略してヤマト王権を樹立したことになります。
神武天皇は地元の神の娘を后にして、政権を安定させたかったのかもしれません。
崇神天皇にオオタタネコを祭主にすることを進言したヤマトトトヒモモソヒメノカミは大物主神と神婚したといわれる女性で、
オオミクチノスクネはニギハヤヒの子孫です。そして、祭主になったオオタタネコは、
オオクニヌシから国譲りを実現させたタケミカヅチの子ともいわれています。
これらのことから、この崇神天皇のエピソードは、神武天皇に侵略されたニギハヤヒのグループが、
大神神社の祭主権を奪取した話とする解説もありました。
いやー大変奥深いです。
ちなみに疫病は新興のウィルス感染症で、
ニギハヤヒや神武の東征で多数の九州の人々が本州に流入したことで感染が広まり、
大量死による人口減少で流行は自然に終息したとか。。なるほど。
参拝日:2011年6月5日(日)
二の鳥居。着いたのは15時少し前でした。
参道。
祓戸神社。御祭神は瀬織津姫はじめ4柱。先ずここにお参りし身も心も清浄になって御本社に参拝せよとのこと。
境内案内図。
境内。
手水舎。
社殿。後ろに本殿はなくそれに代わるものとして三ツ鳥居があります。
巫女さん。
巳の神杉。神さまの化身の白蛇が棲むという御神木。
神宝神社。熊野三山の神々を祀る。
蛇。
狭井(さい)神社・鳥居。
狭井神社・拝殿。本社の祭神・オオモノヌシの荒魂が祀られています。 拝殿左奥には御神水があります。 滅菌ケースに入ったコップも用意されており、自由に飲むことができます。
三輪山登拝口。山中の写真撮影は禁止です。 往復約4キロで所要2、3時間程度とのこと。登りたかったのですが、入山の受付が14時まででした。
市杵島姫神社。昭和31年に末社の厳島社から分霊を勧請したもの。
三輪山。
右下にみえるのは一の鳥居の大鳥居?
大鷹禰子神社(若宮社)。オオモノヌシの子孫で祭主となった大直禰子命が祀られています。