一の宮の御朱印をもらいに諏訪大社の四社をまわって、まだ時間は13時過ぎ。 松本まで1時間弱ぐらいなので、国宝・松本城にも行ってみました。
松本城
江戸時代に作られた天守が今も残る城。
信濃守護の「小笠原氏」が永正年間(1504-1520)に林城(信濃府中)の支城「深志城」として築城したのがはじまり。
その後武田氏の侵攻で、小笠原氏は城を追われ、信玄の家臣が城代として入りました。
武田氏滅亡、本能寺の変後の混乱を経て、
越後の上杉景勝が後ろ盾となり小笠原氏が奪還。その後、小笠原氏は徳川家康の臣下となりました。
このとき、松本城と改名。
1590年の小田原征伐後、家康の関東移封とともに関東に移り、
代わって入った石川数正とその子・康長の手で、城の整備が行われました。
石川数正は家康が今川氏の人質だった頃からの有力な家臣でしたが、
秀吉と家康が争った小牧長久手の戦いの後に謎の出奔をし、
秀吉の臣下となった武将です。
1613年石川氏が改易になると、再び小笠原氏が入城しました。
大坂の陣後の1617年に徳川譜代の家臣、戸田松平氏が入城した後は、城主がたびたび入れ替わりますが、
1725年(享保10)に戸田松平氏が再び入城してからは、明治維新まで続きました。
国宝の城だけあって天守の中は大混雑でしたが、
城はもちろん、城の周辺もとても綺麗に整備されており、
いい写真が撮れて大満足でした。
諏訪でも感じましたが、この地方は遠くに雪をかぶったアルプスの山々が見え、とても美しいところです。
大天守(中央)乾小天守(右)辰巳付櫓(大天守の左隣)・月見櫓(一番左)
松本出発は16時過ぎ。帰りの道は、中央道の国立府中の手前から調布を過ぎたところまで渋滞。 首都高でも厳しい渋滞にはまって、自宅到着は19:50でした。