福島の一之宮

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久しぶりの一之宮巡りは福島の三社。これまで原発から近い(約60Km)場所ということで少しためらっていたが、近くで行ける場所がなくなってきたので、思いきって行ってみた。

石都々古和気神社(いわつつこわけ) <陸奥国一宮>

家を出たのは11:45。途中那須高原SAで昼食をとり、着いたのは15:00ちょっと前。車を何処に止めていいかわからず、そばにあった石川町の役場に止めた。入り口の階段の脇に境内案内図の看板があって、見ると少し歩くよう。階段を上がっていったら雪道になった。途中に大きな石がたくさんあり、ひとつづつ名前を書いた看板が立っている。天狗石(Tenguishi)といった風。ローマ字表記がちょっと不思議。ほどなく社殿に着いた。そこは小山の頂上で町が見下ろせる。人気(ひとけ)もなく、雪に囲まれた雰囲気がすがすがしく感じた。入り口まで戻り少し離れた社務所で御朱印をもらう。おばあさんが応対してくれた。奥では祈祷が行われていた。

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都々古和気神社・馬場(つつこわけ) <陸奥国一宮>

15:30に石川町を出て、棚倉(たなぐら)町へ。ここには同じ名前の神社が2社ある。まず馬場とよばれているほうへ。16:00着。広い境内。こちらも雪が残っている。社屋は古く、朽ちているような摂社、末社もあるが、雪のおかげがイメージは悪くない。ここも人影なし。参拝を済ませ、神社のそばにある宮司の自宅で御朱印をもらう。と、ここに先客がいた。比較的若い兄ちゃんが、玄関に座って宮司と話しこんでいる。宮司は年配のおじさんで、もう一人その母親と思われるおばあさんと二人、玄関に置かれたコタツに入っていた。おばあさんに通されて、兄ちゃんの隣に腰掛けるが、兄ちゃんは構わずじゃべり続けている。このあたりの歴史の話、天皇の系譜の話、俺は数学が得意だった、とかいろいろ。ようやく兄ちゃんが帰り、自分の番になった。宮司も話好き。長話の原因はこちらにもあったよう。少し付き合ってたら、17:00になってしまった。結局宮司宅に30分もいた。待たせて悪かったとおばあさんが帰りに饅頭をくれた。

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都々古別神社・矢槻(つつこわけ) <陸奥国一宮>

急いで矢槻とよばれるほうへ。17:15着。もう暗くなりかけている。そこには先ほどの兄ちゃんの姿が。社務所を覗いているがもう閉まっているようだ。さっきの宮司の話では、ここは前の宮司が亡くなって、いまは奥さんとその娘さんでやっている。だいたい社務所にいるが、いなければ自宅に行けばいいとのことだった。重なるといやだなぁと思いつつ、参拝を済ませ、少し周囲を見ているうちに兄ちゃんはいなくなった。
宮司宅を探す。先ほどの宮司の家には何故かこの神社から宮司宅までの地図があり、神社から300mぐらい離れているとあった。が、ここには案内は出ていない。よく見ておけばよかった。時間は17:30ちょっと前。一之宮の本に載っていた連絡先に電話すると女性が出て、「うちは関係ない。間違い電話ではないか」とのこと。
さっきの宮司はわからなければ近所の人に聞けばいいともいっており、近くの商店に入って聞いてみた。人のよさそうなおじさんが、前の道をまっすぐ行って右に曲がりすぐのところ、と教えてくれた。だけど右に曲がる場所がわからない。うろうろしてたら、それらしいところからさっきの兄ちゃんとおぼしき車が出てきた。
その道に入り車を止める。あたりはもう暗い。何軒か並ぶうちそれっぽい明かりの点いている家の呼び鈴を押してみた。反応なし。手前の家のおばあさんに聞いてみると、やっぱりさっきの家だった。おばあさんに声をかけてもらうと、娘さんとおぼしき人がしぶしぶ出てきた。
「御朱印を...」というと、「神社は時間になると閉まるんです。ここでは書けません」といわれ、「そうですか...」。少し間があって、「どこから来たんですか」「東京です」「じゃあ書きますから、神社に戻ってください」「申し訳ありません。ありがとうございます」
こんな調子でなんとか御朱印を頂くことができた。時間は17:45を過ぎていた。御朱印と一緒にもらったパンフレットにはさっきの電話番号が。おそらく出たのはこの娘さん。さっきの兄ちゃん、宮司宅にたどり着けたか定かでないが、たどり着いたにしても御朱印はもらえなかったに違いない。

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帰りは蓮田SAで夕食をとり、自宅着は21:10。往復まったく渋滞にひっかからなかった。いろいろ印象に残る行程だった。

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