2012年4月28日

100名城:岡山県津山市の津山城に行く

城下からの比高差約50mの鶴山(つやま)の上に、石垣を三段に整形し、本丸、二の丸、三の丸が築かれました。 明治以降はたくさんの桜が植えられ、現在は桜の名所となっているそうです。 もう桜は咲いていませんでしたが、全体的に清潔感があり、鮮やかな緑が大変美しい場所でした。(12:40-13:20)

津山城<美作国>

嘉吉年間(1441-1444)に美作国の守護大名・山名教清により、鶴山城が築かれたのがはじまり。 その後、応仁の乱で山名氏が衰退すると、城は廃城になりました。

備前国の戦国大名浦上氏の家臣から下克上して勢力を伸ばした宇喜多氏。 1581年、父・直家の死去により家督を継いだ「宇喜多秀家」は、 織田信長の命令で、中国遠征の豊臣秀吉軍に組み込まれましたが、 本能寺の変で、秀吉と毛利輝元が和睦すると、所領が安堵され、 備中東部から美作、備前を領する大名となりました。

その後、秀吉の寵愛を受け、五大老の一人になりましたが、 秀吉没後に起こった関ヶ原の戦いで、西軍の主力として参加し、 徳川家康によって改易されました。

旧領の大部分は「小早川秀秋」に与えられ、美作国も秀秋の所領となりましたが、 秀秋は1602年に死去し、小早川家は無嗣改易となりました。

1603年、代わって「森忠政」に美作国一国が与えられ、海津城(のちの松代城)から186000石で入封。 1604年、新城の建設地をこの地に定め、築城に着手しました。地名を「津山」に改め、1616年に完成しました。

1697年に、森氏が断絶すると、広島藩の預かりを経て、1698年に、越前松平家の「松平宣富」が入城し、 以降、津山松平氏によって明治維新を迎えました。

本丸と備中櫓

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津山城跡案内図

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本丸からの眺望

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天守台

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裏下門

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二の丸の石垣?

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2012GW・中国四国1泊2日ドライブ旅行(1日目:伊和神社・津山城・中山神社・石上布都魂神社・吉備津彦神社・吉備津神社)






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