海に面し、海水が内堀に入り込む城。天守台など工事中だったのが少し残念でした。
高松城<讃岐国>
1587年、豊臣秀吉の四国征伐後、讃岐一国は「生駒親正」に与えられ、
現在の東かがわ市にあった「引田城」(ひけたじょう)に176000石で入城しました。
手狭であったため、現在の瀬戸大橋のたもとにあった聖通寺城に移りますが、
それも不便であったため、1588年に、現在の地に高松城の築城をはじめ、1590年に完成。
関ヶ原の戦いでは、親正は西軍寄りの態度を示しましたが、子の一正が東軍につき、所領を安堵されました。
1640年、親正から4代目のときに御家騒動が起こり、出羽矢島(現・秋田県由利本荘市)に転封になると、
讃岐国は、伊予の西条藩、大洲藩、今治藩の分割統治になりました。
1641年に山崎家治が丸亀藩を立藩すると、
1642年に水戸徳川家初代藩主・徳川頼房の長男「松平頼重」が12万石で入城し、高松藩を立藩。
高松松平家が明治維新まで続きました。
徳川頼房は兄の尾張藩主・義直、紀伊藩主・頼宣より先に男子を儲けたことを憚り、
次男・光圀を水戸藩主に立て、頼重を高松城に送りました。
こうした経緯から、光圀は後継を頼重の子・綱條(つなえだ)に譲り、
自身の子・頼常を2代高松藩主に据えました。
玉藻公園入口
月見櫓と続櫓(内側)
月見櫓と続櫓(外側)
天守台と奥に鞘(さや)橋
旭門
公園の東入口。高松城の大手門。
艮櫓(うしとらやぐら)
うしとら=北東にあった櫓が、南東の太鼓櫓跡に移設されている。
園内マップ
高松城模型
歴代城主一覧
高松侯と水戸侯の系譜
2012GW・中国四国1泊2日ドライブ旅行(2日目:岡山城・瀬戸大橋・丸亀城・田村神社・高松城・鳴門の渦潮)