但馬国の開拓の神ですが、謎も多い「アメノヒボコ」を祀る神社です。
出石神社(いずしじんじゃ)の御祭神と由緒
御祭神は、天日槍命(あめのひぼこ)と出石八前大神(いづしのやまえのおおかみ)。
アメノヒボコは記紀神話によると新羅の王子で、出石八前大神はアメノヒボコが新羅より持ち込んだ八種の神宝のこと。
創祀年代は不明ですが、社伝によれば、11代垂仁天皇の義父、丹波道主命(たんばのみちぬしのみこと)と、
アメノヒボコの曾孫、多遅麻比那良岐(タジマヒナラキ)とが相謀ってアメノヒボコを祀ったといわれています。
記紀神話のなかで、新羅は拓けた国として描かれてなく、アメノヒボコ自身も、神ではなくあくまで渡来人としての登場で、
あまり歓迎もされていません。にもかかわらず、15代応神天皇の母で神話のヒロイン・神功皇后は、その末裔であるとされています。
アメノヒボコを特定の人物とせず、神武東征以前に本州に進出してきて但馬に定着した集団、
あるいはその人たちが使った金属製の祭器を人格化したもの、と考える説もあったりします。
私が勉強したところによれば、神武天皇が実在したかはさておき、
神武天皇が九州から本州に東征をして初代天皇に即位するとき、
これより先に九州から本州に進出していた別のグループが河内や丹後などにいて、
但馬にもそうした集団がいたことは史実のようです。
ヤマト王権は、そうしたグループと婚姻関係を結びながら勢力を拡大していったのですが、
彼らとの権力争いは、後々も王権の内部でずっと続いていたようです。
記紀の編纂は、40代天武天皇の頃に始まりました。歴史書は大概その時の政権の都合のいいように書かれますので、
アメノヒボコが新羅の人になっていたり、神功皇后がその末裔になっているのは、天武天皇が彼らを良く思っていなかったのかも。
適当なことを言っていたらすいません。
参拝日:2012年7月7日(土)
14:45着。朱の神門と苔の緑が鮮やかで、ここも素敵なところでした。 境内は水で囲まれ、そこにはたくさんのおたまじゃくしが泳いでいました。 参拝者はまばらで静か。神職は一人だけのよう。社務所は閉まっていましたが、 インターホンを押すと出てこられ、無事に御朱印を頂くことができました。15:10発。
境内入口
神門
社殿
中門
本殿
禁足地
比賣社・夢見稲荷社
弁天社