100名城:鳥取県鳥取市の鳥取城と鳥取砂丘に行く

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鳥取というと地味なイメージがありますが、江戸時代はとても大きな藩で、藩庁の鳥取城は攻め落とすのも難しい城だったそうです。 歴史を勉強して、随分印象が変わりました。

鳥取城【因幡国】

標高263mの久松山山頂「山上の丸」の山城部と、 山麓「山下の丸」の天球丸、二の丸、三の丸などの平山城部で構成されるお城。

もともとは因幡守護の山名氏が1530-1550年頃に出城として築いたとされています。 元亀年間(1570-1573)の頃には、山名氏家臣の武田高信が城主となりました。 その後、高信は下剋上しますが、守護家の巻き返しに遭い、 主筋の山名豊国に城を奪われています。

1580年、豊臣秀吉に城を攻められると、豊国は単身抜け出し、織田信長に臣従します。 しかし、旧臣たちは籠城を続け、毛利氏に支援を要請。毛利家の家臣「吉川経家」を城主に迎えました。

1581年、秀吉による厳しい兵糧攻めが行われます。1ヶ月の兵糧しかないところを4ヶ月も頑張りましたが、力尽きて降伏。 そのときの城内のあまりに悲惨な状況は「鳥取城の渇え殺し(かつえごろし)」として伝えられています。

なお、山名豊国は、その後断絶していた宗家を継承。 子孫は、6700石の高家として江戸時代を通して存続しました。

その後は、浅井家旧臣で、秀吉家臣となっていた「宮部継潤(けいじゅん)」が城代として入城。 1585年、九州平定後に正式に城主となりますが、跡を継いだ子の長房は、関ヶ原の戦いで西軍につきました。

関ヶ原の戦いの本戦終了後、家康は、因幡・鹿野城主の尼子氏旧臣、亀井茲矩(これのり)に対し、、 西軍についた因幡国の城を平定するよう命じ、茲矩は、鳥取城を攻撃します。

しかし、かつて秀吉でも苦戦した堅城はなかなか落ちず、 茲矩は、但馬の竹田城主・斎村政広(赤松広秀)を寝返らせ、ようやく降伏させますが、 その際、城下を焼き払ったことが家康の不興を買いました。 詳細はわかっていませんが、その責任は斎村1人が負い、 斎村は東軍に寝返った西軍の武将で唯一切腹させられた人物になりました。

戦後、鳥取城には、池田輝政の弟・池田長吉が6万石で入城します。 このとき、近世城郭への改修が行われました。

1616年、姫路藩で池田輝政長男・池田利隆が死去すると、その家督を子の池田光政が継ぎますが、 翌年、姫路藩の藩領は、明石藩、龍野藩などに分割され、姫路藩には、桑名より本多忠政が15万石で入りました。
光政は鳥取城に移され、鳥取城で長吉を継いでいた子・長幸は、備中松山藩に転封になりました。

光政の所領となった、因幡伯耆32万石は、現在の鳥取県とほぼ同じ範囲になります。 城も、大大名にふさわしい規模に拡張されたそうです。

1632年、光政と岡山藩主の、池田輝政三男・忠雄の子・池田光仲との間で所領交換が行われます。 以後、光仲の子孫が12代続き、明治維新を迎えました。

訪問記

麓の石垣や明治時代に建てられた洋館「仁風閣」の庭を見ているときには、 すれ違う人の多くがどうして「こんにちは」と挨拶するのかわからなかったのですが、 考えてみれば、ここは標高263メートルの久松山。山ですれ違うときの挨拶でした。

そんなことも気付かずに頂上の本丸目指して登り始めたものだから、途中でバテバテ。すっかり汗だくになりました。 五合目あたりでは、今までに見たこともない巨大な蜂も出てきて、怖かったです。 それでも、やっとの思いでたどり着いた山頂の眺めは最高。鳥取市街や鳥取砂丘がよく見えました。 (9:50-11:30)

追記

しかし、後で振り返って見ると、山頂までの山登りがとにかくきつかったことしか覚えておらず、撮ってきた写真も多くありません。 石垣など見どころが多いお城のようですが、見逃してきたものも多いはず。 山登りは嫌ですが、また登城したいです。(2018/9/19)

「山下の丸」の二の丸から「仁風閣」を見下ろす

鳥取城

「山下の丸」の二の丸にある中坂稲荷神社

山上の丸へ登る五合目のところに本社があります。

鳥取城

「山上の丸」への登城口

鳥取城

四合目

鳥取城

山頂

鳥取城

山頂より鳥取市街

鳥取城

山頂より鳥取砂丘

鳥取城

山頂より北西方向

千代川と湖山池が見えます。

鳥取城

鳥取といえば鳥取砂丘。鳥取城から車で20分ほどなので、立ち寄りました。

鳥取砂丘

砂丘の反対側、道を挟んで並ぶ土産物屋さんで長靴を借り、砂丘へ。大迫力の砂の丘でした。

長靴を脱ぎ裸足で丘を登ると、丘の向こうは日本海。 海岸で遊んでいる人もちらほらいましたが、丘を降りてもう一度登る気はせず、丘の上にすわって小休憩。 気温は暑すぎず寒すぎず、天気も晴れすぎず、風が気持ちよく感じました。

若者のグループや親子連れ、おじちゃん、おばちゃんグループなど観光客が多数訪れていました。 この風景は自分も子どもに見せてあげたい。子どもと一緒にまた来たいと思いました。
(11:50-13:00)

鳥取砂丘

鳥取砂丘

鳥取砂丘

鳥取砂丘

2012/7月・中国地方1泊3日ドライブ旅行(2日目:宇倍神社、鳥取城、倭文神社、三朝温泉)





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