2013年3月24日

100名城:高知県高知市の高知城に行く

前日夕方5時に東京を出て、朝、「桂浜」に行ってからの登城。 高知城は関ヶ原の戦い後、土佐国に入った山内一豊が築いた城。幕末は15代藩主、山内容堂が有名です。 天守閣をはじめ、追手門、本丸御殿など江戸時代に作られた建物が多く現存しています。

高知城

この地には、南北朝時代、付近の豪族、大高坂山氏により「大高坂山城」が 築かれていたといわれています。 しかし、南朝方についた大高坂山氏は、北朝方の武将に敗れ、城は廃城になったようです。 その後、安土桃山時代になり、長宗我部元親がふたたび城を築いたとされています。

長宗我部氏の家督を継いだ元親の子・盛親は、関ヶ原の戦いで西軍につき、1601年、改易となります。 土佐一国は「山内一豊」に与えられ、遠江掛川城から「浦戸城」に242000石で入城しました。

浦戸城が手狭であったことから、一豊は、大高坂山城のあった場所に新城の築城を決め、 関ヶ原の戦いで罪人となっていた百々綱家(織田秀信家老)の赦免を徳川家康に嘆願。 これが認められると、綱家を総奉行にして、工事がはじまりました。彼は築城の名手でした。

1603年に本丸が完成し、河中山(こうちやま)城と名付けました。 1610年、度重なる水害から、高智山城と改名。高知城とよばれるようになりました。

このまま山内氏が明治維新まで居城しました。

1727年、大火で追手門を除く大半を焼失しましたが、1753年までに再建が完了しました。 現存する天守などは、このとき再建されたものになります。、

山内一豊像

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追手門と天守

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追手門 裏側

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天守

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本丸御殿と天守

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二の丸と詰門(右)、東多聞(下)、廊下門(左)

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三の丸

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クジラ漁のジオラマ

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はりまや橋

高知城に登城する前、10時少し前に「日本3大がっかり名所」の一つといわれる「はりまや橋」に立ち寄りました。なるほどです。

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現在の橋

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2013春・高知徳島1泊3日旅行(1-2日目:桂浜、高知城、祖谷のかずら橋、徳島城など)






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