前日夕方5時に東京を出て、朝、「桂浜」に行ってからの登城。 高知城は関ヶ原の戦い後、土佐国に入った山内一豊が築いた城。幕末は15代藩主、山内容堂が有名です。 天守閣をはじめ、追手門、本丸御殿など江戸時代に作られた建物が多く現存しています。
高知城
この地には、南北朝時代、付近の豪族、大高坂山氏により「大高坂山城」が
築かれていたといわれています。
しかし、南朝方についた大高坂山氏は、北朝方の武将に敗れ、城は廃城になったようです。
その後、安土桃山時代になり、長宗我部元親がふたたび城を築いたとされています。
長宗我部氏の家督を継いだ元親の子・盛親は、関ヶ原の戦いで西軍につき、1601年、改易となります。
土佐一国は「山内一豊」に与えられ、遠江掛川城から「浦戸城」に242000石で入城しました。
浦戸城が手狭であったことから、一豊は、大高坂山城のあった場所に新城の築城を決め、
関ヶ原の戦いで罪人となっていた百々綱家(織田秀信家老)の赦免を徳川家康に嘆願。
これが認められると、綱家を総奉行にして、工事がはじまりました。彼は築城の名手でした。
1603年に本丸が完成し、河中山(こうちやま)城と名付けました。
1610年、度重なる水害から、高智山城と改名。高知城とよばれるようになりました。
このまま山内氏が明治維新まで居城しました。
1727年、大火で追手門を除く大半を焼失しましたが、1753年までに再建が完了しました。
現存する天守などは、このとき再建されたものになります。、
山内一豊像
追手門と天守
追手門 裏側
天守
本丸御殿と天守
二の丸と詰門(右)、東多聞(下)、廊下門(左)
三の丸
クジラ漁のジオラマ
はりまや橋
高知城に登城する前、10時少し前に「日本3大がっかり名所」の一つといわれる「はりまや橋」に立ち寄りました。なるほどです。
現在の橋
2013春・高知徳島1泊3日旅行(1-2日目:桂浜、高知城、祖谷のかずら橋、徳島城など)