月山富田城【出雲国】の歴史
築城は1185年頃。出雲守護職が代々居城としてきた城。
1391年、山名氏に奪われていた守護職を「京極氏」が取り戻すと、
親戚筋の尼子氏が守護代となり、ここに居城するようになりました。
尼子氏は15世紀後半、尼子経久(あまご・つねひさ)の時代に下剋上し、
出雲国の実質的な支配者となりました。その後も勢力を拡大し、
1537年に経久から家督を継いだ孫の晴久は、
出雲・隠岐・伯耆・因幡・備後・備中・美作・備前の8ヵ国の守護に任じられ、1555年頃に最盛期を迎えます。
しかし、1559年頃からは、備後を毛利氏、備中を三村氏、因幡を山名氏に奪われて衰退をはじめ、
1566年、毛利氏によって滅ぼされました。
1600年、関ヶ原の戦い後、毛利氏が長門に転封になると、
出雲隠岐24万石が、豊臣恩顧の外様大名、堀尾吉晴と
その子・忠氏に与えられ、遠江浜松より月山富田城に入城しました。
月山富田城は、戦国時代を通して、難攻不落といわれた要害でしたが、
近世城下町の形成には不利な立地であったため、新城(松江城)の建築に着手。
1611年、松江城完成とともに、城は廃城になりました。
訪問記
道の駅「広瀬・富田城」から、約30分の山登り。道の駅にはそれなりに車が止まっていたのに、
誰ともすれ違わないまま本丸跡の頂上に着きました。本丸は草ぼうぼうでした。
(13:40-14:45)
三の丸石垣
二の丸石垣
本丸からの眺望
山中御殿平の石垣
足立美術館
安来氏出身の実業家、足立全康氏が1970年に設立した美術館。横山大観の作品と日本庭園が有名。
庭園は、アメリカの日本庭園専門誌『The Journal of Japanese Gardening(ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング)』で、
2003年の第1回から現在まで、15年連続ランキング1位に選ばれています。
足立全康氏は、明治23年生まれ。戦後、焼け野原となった大阪で商売をし、不動産投資で財産を築いたそうです。
終戦時の年齢は46歳ですから、まだ自分もあきらめてはいけません。
閑散としていた富田城とは異なり、こちらは年配の団体さんが大勢来て賑わってました。
庭もよかったですが、写真が撮れなかった横山大観や橋本関雪などの日本画が印象的でした。
(15:00-16:45)
伯耆大山
帰り道、米子IC付近で「大山」が綺麗に見えたので、近くのPAに立ち寄り、写真に収めました。 山登りは嫌いですが、いつか行ってみたい山です。
18日の19:00に東京を出発した今回の旅。 帰りの渋滞は一箇所もなく、休憩は浜松SAと足柄SAで軽くとっただけで、26:00に帰宅しました。
2013_5・山陰1泊4日ドライブ旅行(2日目:松江城、熊野大社、月山富田城、足立美術館)