玉祖神社【周防国一宮】から1時間弱で着きました。
岩国城【周防国】の歴史
関ヶ原の戦い後、毛利氏が長門周防2ヵ国に大減封になると、
「吉川広家」(元就次男・吉川元春の子)が周防国に入り、城を築きました。
横山の麓に平時の居館となる「土居」、山上に戦時の城「横山城」が築かれましたが、
完成からわずか7年後、1615年に一国一城令で廃城となりました。
実際のところ、周防国には岩国城しかなく、破却する必要はなかったようですが、
毛利氏側で、幕府への遠慮や内部統制上の事情があり、破却したようです。
「土居」のほうは、陣屋として明治維新まで存続しました。
錦帯橋
錦川にかかる「錦帯橋」は、城と城下町をつなぐ橋で、 広家の孫の3代領主「吉川広嘉」によって1673年に架けられました。 独自の形状は、洪水に耐えられるようにという理由からで、 実際、1674年以後、1950年の台風まで流されることはありませんでした。 現在の橋は、その後1953年に再建されたものです。
復興天守
現在山上にある天守は、1962年に作られた鉄筋コンクリート構造の復興天守です。 桃山風南蛮造りといわれる、三重目、四重目がせり出しためずらしい構造。 麓からの見栄えを重視し、実際の位置からずらして建設されました。
訪問記
川もきれいで、橋も迫力がありました。岩国城天守からの眺めもよい。
来てよかったです。観光客で賑わっていました。
ただ、日を遮るものが何もなくものすごい暑さでした。
(10:20-12:20)
錦帯橋と岩国城
定番の構図です。
旧天守台
天守
天守からの眺め
中央に錦帯橋が見えます。
白山比咩神社
岩国市の錦帯橋近く吉香公園内に鎮座。御祭神の菊理媛命(きくりひめのみこと)は縁結びの神様。
創建年代は不詳ですが、吉川広家が当地に移封されてより封内の鎮守と仰ぎ、吉川家歴世の産土神として崇敬せらたそうです。
加賀の白山比咩神社は印象深い神社だったので、この地で白山比咩神社に参拝できるとは思わず、うれしくなりました。
錦帯橋と岩国城
最後にもう一枚、別角度から撮りました。
2013夏・中国四国2泊3日ドライブ旅行(1日目:玉祖神社-岩国城-厳島神社-広島城)