日本100名城:甲府城と武田氏館(武田神社)からのほったらかし温泉

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100名城ドライブ。紅葉見物も兼ねて山梨県甲府市の甲府城と武田氏館(躑躅ヶ崎館)に行ってきました。

甲府城

甲斐国は武田氏の本拠。甲府は信玄の父、信虎の時代から政治の中心地となり、武田氏館を中心とする城下町が形成されました。武田氏滅亡後は、織田信長、徳川家康の支配となり、豊臣秀吉の天下統一後は、関東に移った家康の抑えとして、豊臣系大名に与えられました。甲府城の築城年代はこの頃という説が有力だそうです。関ヶ原の戦い以後は、徳川将軍家一族が城主を務める特別な城となりました。

1651年、4代将軍の家綱の弟、綱重が甲府を拝領し、甲府藩を立藩します。 将軍家綱には子が無く、綱重は次期将軍候補になりましたが、1678年、家綱より早く35歳で他界。 5代将軍にはその下の弟の綱吉がなりましたが、綱吉にも子が無かったため、6代目の将軍には、綱重の子の綱豊(家宣)が指名されました。

綱豊が綱吉の養子になると、代わって甲府藩には、綱吉の寵愛を受けた柳沢吉保が入りました。 将軍家と関わりのない大名が甲府に入るのは異例のことでした。 8代将軍吉宗の時代、享保の改革の直轄領拡大に伴い、吉保の子、柳沢吉里が大和国郡山藩に移封されると甲府は再び天領となり、そのまま明治維新を迎えました。

現在は、舞鶴城公園として整備されています。

稲荷櫓

場内の北東に位置する櫓。江戸時代には武具蔵として使われていたそう。 2003年、残っていた絵図などからできるだけ当時の姿に復元。現在は資料館になっています。

甲府城

往時の甲府城の模型。 現在は3分の1程度の敷地になっています。右上の赤い標識のところが稲荷櫓。

甲府城

本丸

鍛冶曲輪から見た本丸。右の少し高い石垣のところが天守台です。

甲府城

天守台

天守台を北側から。

甲府城

天守台からの眺望

南の方角には富士山がくっきり見えました。

甲府城

西には南アルプス。

甲府城

北には甲府駅。線路の向こうに復元された清水曲輪の石垣が見えています。

甲府城

北東には愛宕山。山梨県立科学館の屋根が見えます。

甲府城

※家を出たのは8:15、甲府城到着は12:00。訪問時間は約1時間でした。

武田氏館(躑躅ヶ崎館・つつじがさきやかた)

1519年、武田信虎が石和の川田館から館を移し、1582年、勝頼が新府城に移転するまでの63年間、武田氏3代の居城だった場所。武田氏滅亡後はふたたびここが甲斐の主城とされましたが、先の甲府城が築城されると、その機能を失いました。

日露戦争後、神社に武神・軍神を祀ることが奨励されたのをきっかけに、武田信玄を祀る神社創建の機運がたかまり、大正8年、武田氏館の跡地に、武田神社が創建されました。

武田氏館

ちょうど七五三のシーズン。

武田氏館

お参りにきている人や紅葉の写真を撮りに来ている人でにぎやかでした。

武田氏館

武田氏館

紅葉はとても綺麗でしたが、写真はなかなかイメージ通りとはいかず。まだまだ修行が必要です。

武田氏館

城(神社)を囲う堀も綺麗でした。

武田氏館

武田氏館

白鳥さんが迎えてくれました。

武田氏館

堀の脇には、人の顔をしたようなネコさんがいました。 頭をなでてあげると体を寄せてきてくれて、超癒されました。

ほったらかし温泉<山梨県山梨市>

帰りがけに山梨市の「ほったらかし温泉」に立ち寄りました。 この場所は、行きがけの談合坂SAでもらったガイドブックで知ったのですが、『広い露天風呂の眼下には甲府盆地が広がり、富士山も望める、超人気温泉』とのこと。「あっちの湯」と「こっちの湯」の2種類の風呂があるなか「あっちの湯」に入湯。評判どおりの絶景に長い時間浸かっていました。

ほったらかし温泉

ほったらかし温泉

※温泉到着は15:15。温泉出発は17:15、自宅到着は20:45でした。

まとめ

今日ほど富士山を眺めていた日はこれまでの人生でなかったと思います。 富士山が常に見えるところに住んでいる人が少しうらやましく思いました。
紅葉も綺麗でベストなタイミングでだったのですが、それと引き換えに中央道は結構な渋滞で 目的地までの到着時間は行きも帰りも3時間半以上もかかりました。


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