山中城に行った後、小田原城に向かいました。
小田原城(おだわらじょう)
後北条氏の居城として有名な城です。
後北条氏は、備中国で足利幕府の家臣だった早雲(伊勢盛時)を祖とし、氏綱、氏康、氏政、氏直と5代に渡って関東に覇を唱えた戦国大名。
15世紀後半、北条早雲は、甥の今川氏親を補佐するため駿河国にわたり、その後、氏親と連携して伊豆国を平定します。
続いて相模国の小田原城を大森氏から奪取し、以来、小田原城は、後北条氏の関東制覇のための一大根拠地として機能しました。
当時の小田原城は、城下町全体を内部に持つ巨大な城郭でしたが、豊臣秀吉による小田原征伐後は、
徳川譜代の家臣で徳川十六神将の一人、大久保忠世が入城し、規模を縮小。近世城郭へと姿を変えていきます。
1614年、大久保氏は改易となりますが、1686年、忠世から5代目にあたる大久保忠朝が入封し、以後、明治維新まで続きました。
なお、後北条氏は、その後、一族の北条氏盛が河内国狭山の外様大名となり、河内狭山藩を立藩。転封されることはなく幕末を迎えました。
現在の天守閣は、昭和35年に造られた鉄筋コンクリート製の復興天守。
天守の本来の姿を忠実に再現するものではありませんが、いまは小田原市のシンボル的な存在になっています。
天気がいまいちで、天守からの眺めもいまいちでしたが、その代わりに「あじさい」がすごくきれいでした。
こんなにたくさんのあじさいを見たのははじめてかもしれません。
天守閣(復興)
天守より石垣山を望む
小田原攻めで秀吉が陣を張った場所。