47城目。
佐倉城の歴史
桓武平氏の流れを汲み、鎌倉時代には下総国の守護だった千葉氏ですが、
戦国時代には後北条氏の支援のもと、佐倉周辺の所領を維持するだけの勢力となっていました。
本拠としていた本佐倉城が手狭となったことから、この地に佐倉城の築城をはじめるも、
1590年、秀吉の小田原攻めにより、後北条氏とともに所領を没収され、この城も未完のまま焼失してしまいます。
1610年、徳川家康の重臣・土井利勝が佐倉藩に入ってから築城を再開し、
1617年に完成すると、藩庁もここに移されました。
佐倉藩は、江戸初期から幕府の大老や老中格の大名が入封しましたが、頻繁に藩主が入れ替わりました。
しかし、5代将軍徳川綱吉のときの大老、堀田正俊の孫にあたる堀田正亮(まさすけ)が1746年に山形藩から入封してからは、
明治維新まで、6代堀田氏が続きました。
堀田氏佐倉藩5代藩主で老中を務めた堀田正睦(まさよし)は、日米修好通商条約締結に向けて、
孝明天皇から勅許を得るため上洛したものの、却下された人。
佐倉城の感想
広い敷地の中、城の建造物は何もありません。 しかし、空堀はたくさん残されており、全体像をイメージすることができました。 紅葉見物か博物館見学か公園に遊びに来たのか、目的かわかりませんが(城見物ではないと思う)、 たくさんの人が訪れていて、賑やかでした。