対馬・海神神社など - takerokero blog

対馬・海神神社など

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朝7:00、厳原港(対馬)に降り立つ。半分寝ていたとはいえ、自宅を出てから約13時間の長旅だった。まだ外は暗く、予報では朝にあがるはずの雨も結構降っていた。レンタカーの予約は8:00から。少し周辺を散策すると、厳原八幡宮神社があった。

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厳原八幡宮神社(いづはらはちまんぐうじんじゃ)

明治時代、自らを一の宮と主張していた時期があり、ここを一の宮のひとつとする文献もある。これまで全国一の宮巡拝会に加盟する一の宮をまわってきたが、あと2社になると、こういう神社にも興味が湧いてきた。無事、対馬に来られたことを感謝し、これからの旅の安全を祈願した。

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8:00になり、レンタカーの受付へ。中心街にありながら場末感漂うホテルのフロントで手続き。車は綺麗なホンダのN-ONEだった。

海神神社(かいじんじんじゃ)<対馬国一之宮>

9:50着。上対馬の西海岸・木坂に鎮座。他の参拝者はいない。雨も上がり、日も射しはじめ、絶好のタイミングでの参拝となった。境内は広い。険しく長い石段を登ったところ、伊豆山の中腹、伊豆原と呼ばれる平坦地に社殿がある。素朴で、波の音、木々が風に揺れる音が心地よい、すがすがしい場所だった。
海神神社は元々「八幡宮」とよばれていた。海神信仰と八幡信仰が渾然としていたが、後に八幡宮を国府の地に遷す。それが先の厳原八幡宮神社で、その地を「イヅハラ(厳原)」と改名したのも、海神神社のある伊豆原に由来したといわれる。昔、ここは相当な聖地だったのだろう。

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御朱印を頂くため、出発前に今日の都合を確認したお宅に電話。出発前は電話してもなかなか繋がらなかったが、今日はすぐに繋がった。神社に来るまで20分くらいかかるとのことだったので、社務所の前に御朱印帳を置き、その間に目の前の海岸にある"ヤクマの塔"と"藻小屋"を見学。
ヤクマの塔は、現在もこの地に残る民族行事、五穀豊穣を願う「ヤクマ祭り」で積み上げられた石塔。藻小屋は、海岸に漂着した藻を集めて乾かし畑の肥料にする石造の小屋で、対馬独特の建築物。こちらは復元されたもの。

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社務所に戻ると、2人のおじさんが御朱印の対応してくれていた。とても丁寧な対応で、ありがたかった。


和多都美神社(わたつみじんじゃ)

11:30着。対馬中央部の豊玉町に鎮座。韓国人観光客の立ち寄りスポットとの噂どおり、たくさんの人が訪れていた。団体さんとか、2人組みとか、いろいろだが、その中に日本人の姿はなく、社務所も無人。それにしても彼らは、神社に来てもお参りする気は全くないようだ。ここ?と思うような場所にもあがりこみ、やたら記念写真を撮っていた。どうも落ち着かない。民族的な批判をするつもりはないが、神様への敬意が感じられず、とても残念に思った。彼らの目の前で、こうするもんだぞとの気持ちを込めて「ニ拝二拍手一拝」でしっかり参拝。その後、真似して手をたたいている人もいた。

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烏帽子岳展望所

12:00着。和多都美神社の近く、浅茅(あそう)湾を望む絶景ポイント。大いに期待していたが、少し曇があり、霞んでいた。もう少し早い時間に来たらよかったかもしれない。絶景といわれる場所で、絶景にめぐり合うのはなかなか難しい。ここでも韓国人のおじさん2人組みに遭遇。

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万松院

13:30着。厳原に戻る。対馬府中藩、宗氏の菩提寺。日本三大墓地のひとつとされる。韓国人の家族連れが1組、門の前にいたが、中は閑散としていた。

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金石城跡

14:00着。万松院の隣。1528年から1676年まで宗氏の居城。中に朝鮮の李王家の娘と旧藩主で宗家当主の武志伯爵の結婚記念碑がある。政略結婚であったにもかかわらず、2人の仲は睦まじかったそうだが、戦後、李王家の要求により離縁した。韓国の団体さんがいて、ガイドが何か説明をしているようだった。

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対馬観光は終了。厳原港でレンタカーを返却し、壱岐へ。

(フェリーからの夕日)
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郷ノ浦港到着。17:30。
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ホテルは港から徒歩13分とあったが、電話するとホテルのお姉さんが車で迎えに来てくれた。助かった。

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