100名城:茨城県水戸市の水戸城と偕楽園に行く - takerokero blog

100名城:茨城県水戸市の水戸城と偕楽園に行く

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平日ですが、有給休暇を利用して、梅が見頃になった水戸に行ってきました。 第一の目的は、100名城登城です。「茨城県三の丸庁舎」に車を停めてスタート。

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水戸城の歴史

太田城を本拠にしていた佐竹氏は、1590年、豊臣秀吉の小田原攻めにあたり秀吉方につき、常陸一国の所領を認められました。 それまで約160年間、水戸城を居城としていた江戸氏を攻めて、水戸城を占拠。 常陸一国を掌握し、水戸城を本拠としました。

しかし、関ヶ原の戦いの際に、豊臣方につくか徳川方につくか態度を明確にしなかったため、 戦後の1602年に出羽国久保田に減封されます。

その後は、徳川家康の5男信吉、10男頼宣が封ぜられたのち、1609年に徳川家康の末子で11男の頼房が入封して以後、 明治4年の廃城まで代々その子孫が継ぎました(水戸徳川家)。

水戸藩の藩主は江戸定住が定められていました。 きっかけは、3代将軍家光が年の近い頼房を頼りにしたからともいわれています。

「弘道館」は、9代藩主徳川斉昭のとき、藩政改革の重要施策のひとつとして、三の丸に開設された藩校です。

水戸城の遺構

現在の水戸城は、本丸跡に水戸一高。二の丸跡に水戸三高と水戸二中と茨城大学付属小学校。三の丸跡に三の丸小と県庁舎が建ち、 本丸と二の丸の間、二の丸と三の丸の間の大きな堀には、それぞれ国道6号とJR水郡線が通っています。

建造物として現存するものは、薬医門と弘道館のみ。 薬医門はもともと本丸と二の丸の間にありましたが、いまは本丸の中にある水戸一高の敷地内に移築されています。 弘道館は、藩主斉昭が好きだった梅の木をたくさん植えた結果、現在も梅の名所となっています。。

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弘道館

当時の敷地は今より広く、「茨城県三の丸庁舎」も弘道館の「調練場」でした。

正門

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正庁

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玄関

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諸役会所(しょやくかいしょ)

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学生警鐘(がくせいけいしょう)

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八卦堂(はっけどう)

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二の丸

大手橋

三の丸と二の丸の間に架かる橋。かつては木橋でした。

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水戸二中の校門

遺構ではなく、周りの景観にあわせてつくられたものですが、すごくカッコイイです。

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本丸

本丸と二の丸の間の堀

思いっきり電車が通っていますが、堀は迫力があります。

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本城橋

二の丸と本丸の間に架かる橋。

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薬医門

こんなのが自分の学校にあったらびっくりしますね。

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偕楽園

この季節、水戸に来て偕楽園に行かないわけにはいきません。私は人生2度目の訪問です。

ここは、9代藩主斉昭が、文武修行の場としての弘道館に対し、余暇に心身を休める一対の施設として、 藩主や藩士のみならず庶民にも開放する目的を掲げて造った庭園です。弘道館同様に梅の名所になっています。

駐車場のおじさんが「休日は大混雑だから今日は最高だよ」と話していましたが、ほんとうにそうだと思いました。

表門

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梅林

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好文亭(こうぶんてい)

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