5/2の夜と5/3の朝、2日がかりで見学しました。
弘前城の歴史
戦国時代、津軽地方は南部氏の支配下にありましたが、後継者問題の混乱に乗じて、
大浦(津軽)為信が反旗を翻し、1570-80年代にかけて、津軽一帯に勢力を拡大しました。
南部氏はこれを認めていませんでしたが、為信は小田原征伐以前より南部氏にさきがけて豊臣秀吉に接触し、
45000石の所領を安堵されます。
関ヶ原の戦いでは東軍につき、後に47000石に加増され、弘前藩が成立。
以後、明治維新まで津軽氏が藩主を務めました。
弘前城は、1603年より築城を始め、1611年頃に完成。
天守(御三階櫓)は、全国に現存する12天守の1つです。
築城当時、天守は五層で本丸の南西に構築されましたが、1627年に落雷で焼失。
現在の天守は1810年に本丸辰巳櫓を解体新造したものです。
天守のほかにも、辰巳櫓・丑寅櫓・未申櫓、追手門、東門、北門、南内門、東内門
が築城時の姿で現存しています。
訪問記
このGW後から天守の下の石垣を修復する工事を10年かけて行う予定で、
その間「曳家」により、天守を今の場所から70m内側に移動させるそうです。
現在その準備のため、天守下の内堀が埋め立てられており、
GW期間中のみ内堀のなかに入って、天守を見ることができます。
特別なときに来ることができてラッキーでした。
弘前城は毎年GW頃に満開になる桜の名所として有名です。
これで桜が満開だったら言うことなしだったのですが、
今年は開花が早く、一部を除いてもうほとんどが葉桜でした。
一日目は夜の弘前城。19:00-21:00過ぎまで約2時間の滞在。
二日目は翌朝、8:00-10:30まで、約2時間半の滞在でした。
現存する建造物がたくさんあり、それらをすべて見ようと思ったところ、
2日あわせて約4時間半もかかり、さすがに歩き疲れました。
以下、写真は2日分ごちゃ混ぜです。
追手門
城の入口。
三の丸
追手門を入ったところが三の丸。北にまっすぐ延びる道を歩いて二の丸に向かいます。
辰巳櫓
二の丸南東にある櫓を三の丸から。
未申櫓
二の丸南西にある櫓を三の丸から。
杉の大橋から
二の丸と三の丸の間の濠。
南内門
二の丸に入ります。
天守
二の丸と本丸の間の下乗橋から
二の丸と本丸の間の濠から
濠から見上げた天守。今しか見られない角度。
本丸から
天守から見た下乗橋
本丸の桜
東内門
二の丸と三の丸の間の門。
東門
三の丸に入る東の門。
丑寅櫓
二の丸北東に建つ櫓。
北門
三の丸と四の丸の間の門。
西濠
三の丸の大きな濠。
桜のトンネル
岩木山を望む
追手門を出て、市役所前より。