100名城:岐阜県恵那市の岩村城に行く

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先週から雨の日が多く、日曜から木曜までは連日雨。普段は自転車通勤ですが、雨の日は徒歩通勤。これが結構疲れます。 仕事もトラブル対応が続き、精神的にも疲れてきたので、今日は有休をとって100名城巡りにでかけることにしました。 目的地は、岐阜県恵那市岩村町にある岩村城。岐阜県の南東部。 江戸時代は、岩村藩の藩庁がありました。日本三大山城の一つで、江戸諸藩の城郭で最も標高の高いところにある城でした。

岩村城

源頼朝の重臣、加藤景廉(かげかど)が1185年、岩村遠山荘地頭に任じられ、 その長男・遠山景朝により築城されたのがはじまり。以後遠山氏が代々居城しました。

1572年、当時の城主遠山景任が嗣子なく病死すると、 織田信長の5男・勝長をもらいうけ、 景任の妻で信長の叔母にあたるおつやの方がその後見(女城主)になりました。

1572年、武田信玄の家臣、秋山虎繁が岩村城を攻撃。 おつやは虎繁と結婚することを条件に降伏し、武田方となりました。

1575年、織田軍は長篠の戦で武田軍を破ると、岩村城を包囲。 岩村城は落城し、虎繁とおつやは磔刑に処せられました。

本能寺の変後、信長の家臣だった森長可(ながよし)が東美濃を統一。 小牧長久手の戦いで長可が戦死すると、弟の忠政が跡を継ぎ、 家老の各務元正(かがみもとまさ)が岩村城代となって、城の整備を行いました。

1599年、忠政が松代に移封となると、松代から田丸直昌が岩村城に入りましたが、 1600年、直昌は関ヶ原の戦いで西軍につき改易され、家康譜代の家臣・大給(おぎゅう)松平氏が入城。 山上にあった城主居館を山麓に移しました。

1638年、一色丹羽氏が入城しますが、1702年に御家騒動で減移封されると、 大給松平氏が再び入城し、以後明治維新まで続きました。

8:30に家を出て、首都高、中央道を通ってり、中津川ICから少しのところ。 岩村歴史資料館(藩主邸跡)に着いたのは、13:20。 自宅からほぼ5時間。渋滞はなかったのですが、思ったより時間がかかりました。 途中一車線規制があったせいでしょうか。

岩村歴史資料館(藩主邸跡)でスタンプゲット

中は見学せず。ここから山上まで約800メートル、約30分の山登りです。

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最初の石畳は少しきつかったけど、たくさんの石垣と、一つ一つについている説明の看板のおかげで、飽きずに登ることができました。

初門

戦になるとここに門を構えて防御を固めたそう。

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一之門

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土岐門

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追手門・三重櫓跡

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竜神の井(復元)

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霧ヶ井

城主専用の霊泉

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八幡曲輪

明治6年の廃城に伴い麓に遷宮されるまでこの場所にあった「加藤景廉」を祀る八幡神社。脱け殻感がすごかったです。

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菱櫓跡

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六段壁

有名な六段壁はもともとふつうの高石垣だったものが、補強の石垣を積んでいった結果、このようになったそうです。

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長局埋門(ながつぼね うずみもん)

本丸に入る正門

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本丸

元々建物はなく、広場になっていたようです。

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本丸より出丸を見る

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本丸北側、埋門(うずみもん)

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二の丸

二の丸は未整備でした。

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岩村城絵図

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松浦軒本店の「カステーラ」と岩村酒造の日本酒「女城主」

城跡をゆっくり見学した後は、城下町で松浦軒本店の「カステーラ」と岩村酒造の日本酒「女城主」をお土産に購入しました。

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岩村町冨田の景観展望所

最後は岩村町冨田「農村景観日本一」の景観展望所に立ち寄りました。

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帰りは、自宅まで休憩なしで一気に戻りました。 渋滞もなく、所要時間は、3時間35分(早っ)。帰宅時間は、21:15。総走行距離は、668km。良い気分転換になりました。

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