姫路城から約1時間30分で到着しました。時刻は14:00。
明石城 <播磨国>
1617年、池田輝政の旧領、播磨一国を継いだ姫路藩2代目藩主、利隆が死去すると、
その子、池田光政は家督を継ぎますが、幼少を理由に鳥取藩に転封となり、
その藩領は、姫路藩、明石藩、龍野藩、その他小藩に分割されました。
明石藩10万石には、小笠原忠真(ただざね)が信州松本城より入封。
忠真は、2代将軍徳川秀忠から、古来より交通の要衝であるこの地に西国の外様大名に対する抑えの城を建設するよう命じられ、
姫路藩に入封した本多忠政の指導の下、明石城を築城しました。忠政は忠真の正室の父にあたる人でした。
1632年、忠真が豊前小倉に転封になると、その後50年間に、譜代大名4家が入れ替わり城主を務め、
1682年、結城秀康の六男・直良の跡を継いだ松平直明(なおあきら)
(直良系越前松平家)が越前大野より入封してからは、そのまま明治維新まで続きました。
現在、城は「明石公園」になっており、本丸跡に2基の三重櫓が現存しています。 この日は「食三昧市」なるイベントが開催中で、屋台が並び、ステージではゲストが歌を歌っていました。 公園内の野球場では、高校野球の秋季大会が行われており、応援の声が城にもバンバン聞こえてきました。 野球が気になってしまい、本丸をざっと見た後は、野球場で野球観戦。 ですが、入ったときにはもう九回で、あっという間に試合終了。 市立尼崎と明石商のゲームは明石商が勝ちました。
南東の堀
坤櫓(左)と巽櫓(右)
巽櫓(たつみ)
明石駅方向
坤櫓(ひつじざる)
天守台
天守は台だけ作って建設されませんでした。
魚の棚(うおんたな)商店街で明石焼
食べ物には興味がなく、旅行に行っても普通に吉野家に入ってしまう私ですが、 明石焼にはちょっと興味がそそられ、城のそばの商店街まで歩いて、食べて来ました。
帰宅は25時
15:30に明石を出発し、東京の自宅に着いたのは25:00。所要時間は9時間30分でした。 途中、休憩は静岡SAのみでしたが、第二神明、阪神高速、名神の吹田手前まで、新名神の四日市、東名の豊川、海老名付近と、 渋滞ポイントすべてにはまってしまいました。。