8:30に北谷のホテルを出発し、9:10頃の到着。 沖縄本島中部の東海岸、勝連半島の付け根の丘陵に築かれた城。 車で行くと県道16号沿いに突如、石垣が現れる感じで本当にびっくりします。
勝連城(かつれんじょう)の歴史
築城年代は13世紀末から14世紀頃といわれ、代々の勝連按司(あじ:地方首長)が居城としていました。 15世紀、阿麻和利(あまわり)が城主の頃、最盛期を迎えます。 阿麻和利は、1485年頃、琉球王国の尚泰王に「中城の護佐丸に反逆の疑いあり」と訴え、護佐丸を滅ぼしますが、 後にこれが阿麻和利の陰謀であることが発覚。先手を打って首里城を攻撃するも大敗し、その後、勝連城も落城しました。
訪問記
勝連城は東西に細長いグスクで、五つの曲輪によって構成されています。
西側の最も高い曲輪が一の曲輪で、東側へ二の曲輪、
三の曲輪、四の曲輪と階段状に低くなり、東の曲輪は再び高くなります。
トップに載せた写真は城を北東から見ている形で、左下の赤いコーンの道を歩いていくと、
四の曲輪の城門「西原御門」のあった場所に到達しますが、立ち入り禁止になっており、右の道から入っていきました。
四の曲輪
西原御門を入った場所付近に建つ城碑より定番の構図。石垣の上は三の曲輪。
ウタミシガー
旧正月の元旦に水量を見て、その年の作物の出来を占っていたといわれる井戸。
南側の石垣
見上げたところの石垣は三の曲輪。
三の曲輪
右旋回の階段を上っていくと三の曲輪の城門が見えました。
曲輪側からの城門。
目の前の少し高くなったところが二の曲輪です。
二の曲輪から見た三の曲輪
ニの曲輪
二の曲輪には御殿が建てられていました。
反対方向から。
後方の石垣の上が一の曲輪になります。
ウミチムン(火の神)
台所跡と考えられているそうです。
ウシヌジガマ
天災や戦の時に難を逃れるのに使った洞窟だそうです。
一の曲輪階段
有事の際の最終防衛ライン。
二の曲輪、三の曲輪を見下ろす。正面の森は東の曲輪。
一の曲輪
西側は立ち入り禁止になっていました。
眺望1
眺望2
説明板
この城は100名城ではありませんが、世界遺産として有名な城ということで立ち寄りました。
昨日はどこに行っても大混雑でしたが、ここは時間が早かったせいかすいていて、ゆったり見学することができました。
所要時間は1時間程度。規模も手頃でよいところでした。
追記:登城後の2018年に続100名城に選ばれました。
またスタンプを押しに行かないといけなくなりましたが、とてもいい城なので大歓迎です。