100名城:大阪府南河内郡千早赤阪村の千早城と下赤坂城跡に行く

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千早城は、建武の新政の立役者、楠木正成のお城。 奈良県の高取城から車で移動し、ちょうど一時間で着きました。

千早城【河内国】の歴史

金剛山より西にある一支脈の先端に築かれた山城。 この地の出身の武将、楠木正成により1332年に築城されました。 楠木正成がここで鎌倉幕府軍の攻撃に堪え、幕府軍が足止めされている間に、 東国で新田義貞が挙兵し、鎌倉幕府が滅亡したというエピソードがあります。

城は、建武の新政以後、楠木氏の居城となりますが、 1392年、正成の孫、楠木正勝のとき、北朝方の畠山基国に攻められ、落城。 そのまま廃城になりました。
正勝は吉野に逃れた後、1399年、守護大名大内義弘が起こした応永の乱に呼応し、幕府軍と戦うも敗戦。 その時の傷が元で1400年に死去。子の正盛は、北畠家の庇護を受け、伊勢楠木氏の祖となりました。

訪問日:2016年3月13日

金剛山の麓の食事処「まつまさ」で100名城スタンプGet

はじめに金剛山の麓の食事処「まつまさ」の駐車場に車を止め、「まつまさ」でスタンプGet。 ここは100名城をまわっている人の御用達のお店。 入店するとすぐ店員さんに、「スタンプはこちらです」と言われました。 周りはしっかりした登山客ばかりなので、軽装だと100名城目的とわかるようです。

事前に入手した情報では、 既に100名城をまわられたフレンドリーな女将さんがいらっしゃるとのことで、 お話ししたかったのですが、叶いませんでした。

スタンプを押すだけでもOKですが、 せっかくなので名物の「しいたけごはん」をいただきました。

千早城

千早城

「まつまさ」駐車場から登城

千早城跡には遺構はほぼなく、本丸跡は立入禁止。二の丸跡には、楠木正成を祀る千早神社が建てられています。 目指すところは二の丸跡の神社ですが、表の石段を上がるルートと金剛山の登山道の途中から登る裏ルート、2つの行きかたがあります。今回は裏ルートから行くことにしました。 ネットで下調べした情報によれば、こちらのほうが楽とのことでした。

しかし、この登山道も数分で息が上がるほどきつい坂で、途中で来た道を何度も振り返りました。 それでも、時間にすれば約10分で、二の丸跡の神社に到着。 帰り道は、表のルートから戻ったところ、やはりこちらは裏のルートよりきつそうでした。

金剛山登山道

千早城

金剛山登山道と千早神社との分かれ道

千早城

少し登って振り返ったところ

千早城

千早神社参道との合流地点。石段を上がったところが三の丸跡。

千早城

三の丸跡

さらに石段をあがったところに二の丸があります。

千早城

二の丸跡(千早神社)

社殿の奥が本丸になりますが、神域のため立ち入り禁止です。

千早城

四の丸跡

元の道を戻り、参道との合流地点をさらに下に降ったところにあります。

千早城

遠くに大阪湾が見えました。

千早城

参道の石段

千早城



下赤坂の棚田(下赤坂城跡)

千早城登城後、千早赤阪村は棚田が有名とのことで、立ち寄ってみました。 楠木正成ゆかりの下赤坂城跡からの眺めがよいとのこと。 水を張ったときにもう一度訪れたいと思いました。

千早城

千早城

下赤坂城跡

1331年、後醍醐天皇が笠置山で挙兵すると、楠木正成もこれに呼応して当地で挙兵。熱湯や二重塀の活用、大木の投下等の奇策を用いて鎌倉幕府軍を翻弄したと伝えられるが、にわか造りの下赤坂城は大軍の攻撃に耐え切れずに落城、正成は金剛山に潜伏した。
(ウィキペディアより)

千早城

千早城



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