日本100名城:大阪府大阪市の大阪城に行く

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高槻市のホテルを7:45に出て、大坂城の前には9:00到着。

大坂城【摂津国】の歴史

1582年、本能寺の変後に行われた清洲会議により、 摂津国のうち大坂・尼崎・兵庫の12万石は池田恒興に与えられました。 1583年、賤ヶ岳の戦い後は、豊臣秀吉の領有するところとなり、 石山本願寺の跡地に築城したのが大坂城です。

1598年に秀吉死去。1600年の関ヶ原の戦いを経て、 豊臣家は、220万石の大大名から摂津河内和泉657400石の一大名に転落。 1614-15年の大坂冬の陣・夏の陣で大阪城は落城し、豊臣家は滅亡しました。

戦後、松平忠明(奥平松平家)が、 摂津大坂藩10万石の藩主となり戦災復興。忠明は「道頓堀」の名づけ親だそうです。

1619年、忠明が大和郡山に移封となると、大坂は天領となり、 1620年から、2代将軍秀忠によって豊臣色を払拭する大阪城の大修築工事が行われ、1629年に完成。 現在の遺構はすべて徳川氏によるものです。

城主は歴代将軍で、譜代大名から選ばれる「大坂城代」が城を預かりました。 天守は1665年に落雷で焼失して以降、建設されませんでした。

幕末は、1868年、王政復古の大号令の後、二条城を追われた徳川慶喜が居城しましたが、 鳥羽伏見の戦いの敗北で、江戸に退却すると、新政府軍に明け渡されました。

訪問日:2016年4月30(土)

南外堀と六番櫓

まず目に入ったのは、南外堀の石垣と櫓(六番櫓)でした。大坂城再建工事の最終段階で築かれたもので、 櫓は寛永5(1628)年に創建されたものが現存しています。すごい。

かつては、二の丸南側の石垣の上には、一番櫓から七番櫓まで7つの櫓が建ち、 それらは白壁の土塀で連結されていたそうです。すごい迫力だったでしょうね。 戊辰戦争や太平洋戦争で焼けて、現在は一番櫓と六番櫓を残すのみです。

大坂城

大手門

大手門から二の丸へ。大坂城への入口は、ここ大手口(南西)のほかにも、 京橋口(北西)、青屋口(北東)、玉造口(南東)がありました。

一番左に見えるのは千貫櫓、中央は大手口多聞櫓。大阪城には多くの遺構が残されています。

大坂城

大手口枡形の石垣には巨石があります。巨石は城の威容を誇示するためのものだそうです。

大坂城

多聞櫓

多聞櫓を通って二の丸に入ります。

大坂城

石山本願寺推定地

二の丸南に「石山本願寺推定地」と書かれた石碑がありました。 うちのお墓が浄土真宗ということで、興味深く説明文を読みました。

大坂城の建つこの場所は、元々浄土真宗中興の祖・本願寺8世蓮如の隠居所「大坂御坊」があり、 1532年、京都山科の本願寺が日蓮宗徒と近江の六角氏による焼き討ちで消失したため、本拠が移されて石山本願寺となりました。

11世顕如のとき、信長との抗争が勃発。約10年にわたる石山合戦の末、1580年、本願寺は退去。 紀伊鷺森、和泉貝塚、大坂天満を経て、1591年に現在の京都堀川に移転しました。

浄土真宗は新興勢力ということもあり、大変だったようですね。薩摩藩では明治初年まで禁教でした。

大坂城

豊國神社(ほうこくじんじゃ)

京都の豊国神社(とよくにじんじゃ)より分かれ、その後独立した神社。 御祭神は、豊臣秀吉、豊臣秀頼、豊臣秀長。昭和36年に現在の大阪城二の丸に遷座されたそうです。

大坂城

桜門

それでは正門である桜門から本丸に入ります。この門は明治時代に再建されたもの。

大坂城

桜門枡形の巨石「蛸石」

大坂城内には、巨石がたくさんありますが、なかでも最も大きい巨石だそうです。

大坂城

桜門枡形の巨石「振袖石」

城内で3番目の巨石です。

大坂城

徳川期大坂城絵図

大坂城

天守閣

徳川の天守は、1665年に落雷で消失しており、 現在の天守は、徳川時代の天守台の上に鉄筋コンクリートで作られたもの。 豊臣時代と徳川時代の折衷的な外観になっているそうです。

復興天守とはいえ、昭和6年に建てられたものですから、これはこれで歴史的建造物ではないかと。

大坂城

天守展望台から南方向の眺め

大坂城

金蔵

大坂城

内堀

大坂城

二の丸北西方向より天守

大坂城

山里丸

天守の裏側にあるこの郭は、淀殿と豊臣秀頼の最期の地といわれています。 立地的にも何となく寂しげな雰囲気です。

大坂城

極楽橋と天守

極楽橋は、大坂城の北側の二の丸と山里丸を結ぶ橋。 豊臣時代からここには橋があったそうですが、現在の橋は昭和40年に架けられたもの。

大坂城

北西方向から内堀と天守

大坂城

京橋口・肥後石

城内で2番目に大きい巨石です。

大坂城

西外堀・乾櫓

大坂城

千貫櫓と多聞櫓

大坂城

西の丸から天守

西の丸は、秀吉時代に側室・京極竜子の屋敷、 秀吉没後、正室・北政所の屋敷、石田三成の暗殺事件後に徳川家康の屋敷が置かれた場所。 江戸時代には、大坂城代の屋敷がありました。

現在は庭園として整備され、桜の名所なのだそうです。

大坂城

焔硝蔵(えんしょうぐら)

1685年に建造された火薬庫。

大坂城

一番櫓

最後に、現存建造物である南外堀の一番櫓を見て、探索終了。

大坂城

あまりに広大で、気づいたら14:00。なんと5時間も歩き回っていました(^_^;。 一度ではまわりきれないお城。また訪れたいです。

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