2016年7月 2日

100名城:愛知県岡崎市の岡崎城と松平家・徳川将軍家の菩提寺、大樹寺に行く

8時過ぎに家を出発。昨夜あまり眠れていなかったせいか、1時間もしないうちに睡魔に襲われ、必死で眠気を抑えながら走りました。 休憩を挟みつつ、13時過ぎに到着しました。
岡崎城は、徳川家康が生まれた城。江戸時代は神君出生の城として神聖化され、家格の高い譜代大名が城主となりました。 現在は本丸、二の丸あたりが「岡崎公園」になっています。

岡崎城

15世紀半ば、三河守護代の西郷稠頼(つぎより)が作った砦がはじまり。 1526年頃、徳川家康の祖父・松平清康が奪取し、 1531年、この地を本拠として本格的な城を構えました。

清康は三河を統一し、尾張の織田氏を攻めるまでになりましたが、 25歳のとき家臣により殺害されると、その後は一族の反乱などもあって弱体化し、 子・広忠のときには駿河遠江の今川義元を頼るようになります。

広忠は、知多半島北部を支配していた水野忠政の娘(於大の方)と結婚。 1543年、家康が誕生しました。

水野氏の家督を継いだ於大の方の兄が織田氏と同盟を結んだため、 織田氏と敵対している今川氏の庇護を受けている広忠は、於大の方と離縁。 家康は3歳で母と生き別れになりました。

家康は6歳のとき、今川氏に人質に出されることになりますが、 駿府に向かう途中で渥美半島の田原城主・戸田氏の裏切りに遭い、 織田氏の人質になってしまいます。

8歳のときに、父・広忠が死去。 今川義元は、織田氏が支配していた三河の安祥城を攻め、 織田信秀の子・信広との人質交換で家康を取り戻し、駿府に移しました。

以後、三河国は今川氏に乗っ取られたかたちになり、 家康が岡崎城に戻ったのは19歳になった1560年。 桶狭間の戦いで義元が討たれた後でした。

1570年、家康は浜松城に本拠を移し、岡崎城には息子松平信康が入城します。 1579年、謀反の疑いをかけられ、信康が自刃すると、家康の重臣、石川数正、本多重次が城代となりました。

1590年、家康の関東移封に伴い、豊臣家臣の田中吉政が入城し、 近世城郭の基礎を作りました。

1600年以降、譜代大名が入れ替わり城主となりますが、 1769年、徳川四天王の一人・本多忠勝の直系である本多氏が入ると以後、明治維新まで続きました。

大手門

公園入口の立派な大手門は、平成5年に建てられたもので、実際の大手門はここから北東200mの場所にあったそうです。

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今日は暑すぎるほど良い天気。眠気も重なりクラクラしてきたのでクールダウンも兼ねて、 はじめに二の丸の「三河武士のやかた家康館」に入って、歴史の勉強をすることにしました。展示がとても充実していました。 天守だけ入る人もいるようですが、もしどちらかにするならこちらのほうがよいと思いました。

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龍城神社

本丸に移動し、龍城(たつき)神社に参拝。ご祭神は徳川家康、本多忠勝など。かつては岡崎東照宮といわれました。

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天守

昭和34年に鉄筋コンクリートで再建されたもの。外観は明治維新で取り壊される前のものに近いそうです。 中は資料館ですが展示はいまいちでした。

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東照公の遺訓。身に染みました。

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坂谷邸址

家康が生まれた場所です。

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井戸

産湯に使われたといわれる井戸。現在も水が湧いています。

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えな塚

胎盤が埋められています。

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大樹寺 <愛知県岡崎市>

岡崎城から3キロほど離れた場所に、徳川家の先祖、松平家の菩提寺の大樹寺があるので、そちらも行ってみました。 松平氏宗家第4代親忠が1475年に創建した浄土宗のお寺で、宗家8代の墓や15代慶喜を除く歴代将軍の等身大の位牌が安置されています。

桶狭間の戦いのとき、今川軍にいた家康は祖先の眠るこの寺に逃げ、祖先の墓前で自害しようとしたところ、 住職が「厭離穢土、欣求浄土」(おんりえど ごんぐじょうど)という言葉を伝え、思いとどまらせたとか。 「この汚れた世界から離れ、極楽浄土のような平和な理想の世界を求めましょう」という意味で、 以後、家康はその言葉を終生座右の銘にし、旗印にその文字を刻んだそうです。

家康の日課念仏。南無阿弥陀仏といくつも書かれているなかの最後が南無阿弥家康と書かれていました。 お茶目??

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多宝塔

7代清康によって建てられた多宝塔は重要文化財です。

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ビスタライン

大樹寺と岡崎城を結ぶ約3キロメートルの直線は「ビスタライン」と呼ばれているそうです。 徳川三代将軍家光が、寛永18年(1641)、家康の十七回忌を機に大樹寺の伽藍の大造営を行う際に、「祖父生誕の地を望めるように」との想いを守るため、本堂から三門、総門を通して、その真中に岡崎城が望めるように伽藍を配置したことに由来するとか。 確かに、岡崎城が見えました。

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豊橋の豊橋に立ち寄る <愛知県豊橋市>

NHK・Eテレ「0655」の「ご当地再発見!ソング」、「さらば、豊橋」で紹介されている豊橋(とよばし)を撮ってきました。

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豊橋名物「ヤマサのちくわ」をお土産に買って、帰りました。

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ヤマサ本店前から家まで所要時間は3時間30分。自宅到着時刻は22時10分。本日の総走行距離は648kmでした。


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