今日は新発田城に行ってきました。3連休なので泊りがけで遠出も考えましたが、最近少し出歩き過ぎているので、自重して日帰りにしました。
とはいえ、100名城で残っているのは片道3時間ではきかないところばかり。早く出なければいけないのになんとなくグダグダしてしまい、出発は9時過ぎで、関越の渋滞にもはまり、新発田城に着いたのは、14:40頃でした。
新発田城【越後国蒲原郡】
ここには元々上杉氏に仕えた新発田氏の館がありましたが、新発田氏は上杉氏に反逆の後、1587年に滅亡します。1597年、上杉景勝が豊臣秀吉の命で会津に転封されると、北ノ庄城主・堀秀政の与力だった溝口秀勝がこの地に入封し、新発田城を築きました。
秀勝は、関が原の戦いで東軍につき、新発田藩の初代藩主になりました。以後、外様大名の溝口氏が、明治維新まで約270年間、12代に渡って城を守りました。
明治維新後、城の大半は破却されました。本丸と二の丸の半分は陸軍省の管轄となり、第二次大戦終了まで歩兵第十六聯隊が置かれました。昭和28年からは陸上自衛隊が駐屯し、現在に至ります。
かつての本丸は子どもが描く家のような五角形をしていて、周囲を水堀で囲われていました。 その周囲を二の丸が囲い、その南に三の丸がありました。現在は、本丸と堀の南半分が残るのみ。二の丸の大部分は陸上自衛隊の駐屯地になっており、三の丸は北端が文化会館、南端が新発田警察署のあたりでした。
本丸・三階櫓
五角形をした本丸の切妻屋根のてっぺんに相当する位置に立つ櫓。 実質的に天守であったと考えられています。3匹の鯱が特徴。2004年に史料に基づき忠実に復元。
こちらは本丸・辰巳櫓から見た三階櫓。本丸の内部も半分は自衛隊の敷地で立ち入ることはできません。
旧二の丸隅櫓
本丸南の西側の隅、鉄砲櫓のあったところに移設されている旧二の丸隅櫓。 江戸時代からの現存。
旧二の丸隅櫓を北西方向から。その奥には二の丸と本丸を繋ぐ帯曲輪だったところが少しだけ見えています。
本丸・表門
江戸時代からの現存。立派です。
本丸・辰巳櫓
本丸南の東側の隅に建つ櫓。2004年に史料に基づき忠実に復元。
遺構はごくわずかですが、表門と旧二の丸隅櫓、辰巳櫓は無料で内部も見学ができます。ボランティアガイドもいて、良心的なお城でした。 展示物の中では、「日の丸が国旗になったのは島津斉彬の奏上によるといわれているが、発案は10代藩主の溝口直諒(なおあき)によるものだった」と書かれたものが目を引きました。
新発田駐屯地「白壁兵舎広報史料館」
三階櫓は自衛隊の敷地にあるため内部の見学はできませんが、自衛隊の駐屯地には「白壁兵舎広報史料館」があり、こちらは無料で入れます。
歩兵第十六聯隊の歴史など、展示がとても充実していました。開館時間が16:00までで、残念ながら急ぎ足で見るだけになってしまいました。
帰り際、お土産コーナーのお姉さんの猛烈な販売攻勢に遭い、何も買わないでは済まなそうだったので、航空自衛隊のハンカチを購入しました。
白壁兵舎。
終戦の詔勅。
帝国陸軍、昭和初期の服装。
お土産のタオルハンカチ(航空自衛隊)。
月岡温泉「ほうづきの里」
17:00、新発田城から車で30分ほどの場所にある「月岡温泉」に移動しました。
大正5年、石油を掘削中に発見された温泉で、硫黄含有量が全国2位、エメラルドグリーンのお湯が特徴。30軒の温泉旅館が集まる温泉街になっています。
入ったのは日帰り温泉施設の「ほうづきの里」。
こじんまりとした感じでしたがそれほど混み合ってなく、ゆっくりできました。
朱鷺メッセ 展望室(Befcoばかうけ展望室)
最後は新潟市に移動し、朱鷺メッセの31階、展望室から夜景撮影です。夜景100選に選ばれているそうです。なんと入場無料。通常は360度の眺望が楽しめるのですが、今日は貸し切りイベントが行われていたため北側は入れず。訪れていた人はカップル率がとても高かったですが気にせず、必死で映り込みと手振れを抑えながら撮影に集中しました。
西方向。19:17。海は日本海でその向こうに佐渡島が見えています。
南西方向。19:30。
正面の川は信濃川で、一番手前の橋は万代橋。
西方向。19:45。
南西方向。20:00。この写真、SS3秒の手持ちって凄くないですか?
ということで、20:00過ぎまで滞在し、帰路につきました。
途中休憩は三芳PAで1回だけで、帰宅時間は24:30でした。