100名城:広島県安芸高田市の吉田郡山城に行く

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(写真の山全体が郡山城)

吉田郡山城の歴史

広島県の中央部、吉田盆地の北の郡山に築かれたこの城は、毛利元就が生涯にわたり本拠とした城です。 築城時期は不明ですが、1523年に元就が家督を継いだ頃はまだ砦程度の小規模な城で、元就のときに山全域が城郭化されたようです。

1591年、元就の孫の輝元が広島城を築城し移ったことで役目を終え、1615年、江戸幕府の一国一城令で取り壊されました。

毛利氏の発祥は神奈川県

毛利氏の祖は、源頼朝に仕えた大江広元。鎌倉幕府の創設メンバーであり、 全国に守護と地頭を設置することを頼朝に提案するなど、主に内政面で頼朝を支えました。

広元は、全国に広大な所領を与えられ、そのうち、相模国毛利庄(現在の神奈川県厚木市毛利台)を 受け継いだ四男の季光(すえみつ)が毛利を名乗りました。 その子孫が、鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけて、越後国佐橋庄(さはしのしょう)南条(みなみじょう)から安芸国吉田荘へ移り、 国人領主になっていきました。

国人領主から西国最大の戦国大名に

小規模な国人領主だった毛利家ですが、元就の代になり、急速に勢力を拡大します。 周防・長門を中心に最盛期には北九州まで勢力を伸ばした大内氏、 出雲を拠点に最盛期には山陰・山陽八か国の守護を務めた尼子氏を滅ぼし、西国最大の戦国大名になりました。

元就の孫の毛利輝元は、1583年、賤ヶ岳の戦いで豊臣秀吉が柴田勝家を破ったのを機に、 秀吉と同盟を結び、その臣下となります。 輝元は秀吉から厚遇され、安芸、備後、周防、長門、石見、出雲、隠岐に加え、 備中・伯耆両国の西部、あわせて120万石を領有し、徳川家康に次ぐ大大名になりました。

しかし、1600年、関が原の戦いで西軍についたため、家康によって多くの所領を没収され、周防・長門の2ヶ国、29万8000石に大減封されました。

訪問記

最初に向かったのは、100名城のスタンプ設置場所の安芸高田市歴史民俗資料館。 宿泊先の「尾道ふれあいの里」より、車で約1時間15分。

安芸高田市歴史民俗資料館

展示がとても充実していて、毛利氏の歴史がよくわかりました。入館料は300円ですが、もう少しとってもよいぐらい。 滞在時間は約1時間30分でした。

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山の麓の駐車場まで移動し、ここから城巡りのスタートです。 現在時刻は11時45分。

毛利元就・毛利一族墓所

郡山城への道の途中に元就と一族の墓所があります。 1571年、元就が75歳の生涯をとじた後、翌年、輝元により菩提寺洞春寺が建てられ、境内に墓所が建てられました。 お寺は、現在、山口県に移っていますが、お墓はその当時からのものです。
紅葉の綺麗さと荘厳な雰囲気に圧倒されました。

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毛利元就墓所

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毛利一族墓所

一族のお墓は、各所にあったものを明治になってここに集めたそうです。 左から、元就の兄の興元、その子幸松丸、元就の長男の妻、季光の孫の時親から元就の祖父の豊元までの8代の合祀、 とお墓が並んでいます。

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郡山城跡(本丸)登山口

では城跡に行きましょう。現在時刻は12:15。

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展望ポイント

城跡は、全体的に眺望はあまりよくありません。墓所から本丸に向かう途中、案内図に「展望ポイント」と書かれている 登城口から10分程度の場所もこの程度です。

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御蔵屋敷跡

登城口から20分ほどで山上部に到着。 山上部は山頂にある本丸を中心として放射状に270ヶ所以上の郭が築かれています。 この先本丸の周りの郭を右回りに見ていきます。

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釣井の壇

井戸跡

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姫の丸

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釜屋の壇

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厩の壇

三の丸の下の郭。

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三の丸

奥は二の丸です。

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二の丸

奥に見える一段高いところは本丸。

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本丸

奥の高いところは櫓台跡。

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櫓台跡

礎石が残っていました。

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三の丸下通路の石垣跡

お城は1615年の一国一城令のときに、徹底的に壊したそうで、建造物の遺構はありません。 三の丸周辺に散乱した石垣が残る程度です。

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勢溜の壇

御蔵屋敷の下の郭。本丸を守護する滞在していたと考えられています。段々になっている様子がわかるでしょうか。

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満願寺跡

山頂部より勢溜の壇を脇を下りて行ったところ。築城以前から存在していたお寺だそうです。

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尾崎丸

勢溜の壇から南に伸びる郭。

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旧本城本丸

元就より前の時代の本丸。本丸への登城ルートから分かれて、500mほど離れた場所にあります。 尾崎丸のところから約15分。こちらまでは、城マニアでないとあまり行かないようです。 目的地を目前にして道がわからなくなり、最後は手を使ってよじ登りましたが、 道的には間違ってなく、そうしないと辿りつけないところと思われます。

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本城本丸の眺望

苦労して来た割に眺望はいまいちでした。

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青光井山尼子陣所跡

正面に見える山は、左が青山、右が光井山といい、尼子晴久が毛利元就と争った郡山合戦の際に陣をはった場所だそうです。

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毛利隆元墓所

元就の長男、隆元は1563年、41歳で急死してしまいました。

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清神社(すがじんじゃ)

駐車場に戻ってから、最後に車で城山の麓にある清神社に立ち寄りました。 創建は築城よりも古く、神代からの鎮座と伝えられています。「サンフレッチェ広島」が毎年必勝祈願をする神社だそうです。

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時刻は15:30過ぎ。見学時間は約3時間45分。なかなか大変な山城でした。

ではこれから家に帰ります。東京までの戻りは、神戸と四日市でしっかり渋滞にはまりました。 さらに、いつもは空いている伊勢湾岸道の名港付近でも事故渋滞。 運転開始から6時間を経過してからの渋滞はさすがに堪えました。 休憩は土山SAと足柄SAの2回で、自宅には出発から11時間30分弱後、ちょうど午前3:00頃に着きました。





 

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