子どもも大きくなり、だいぶ遅くなってしまいましたが、 安産祈願のお守りなどをお返しするため、水天宮にお礼参りに行ってきました。
水天宮は社殿の建て替えのため、2013年3月から2016年4月まで一時遷座していたそうです。
私が祈願をしたのはそれ以前なので、知りませんでした。
鉄筋の建物で囲われたなかに本殿がありました。すごいですね。
水天宮の由来と御祭神
水天宮は文政元年(1818)、久留米藩主の有馬頼徳(1797 - 1844)が、三田の江戸上屋敷内に「久留米水天宮」を勧請したのが始まり。明治5年(1872)に、中屋敷のあった現在の日本橋蠣殻町に移りました。
御祭神は、久留米水天宮と同様に、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、安徳天皇、建礼門院(安徳天皇の母)、二位の尼(平時子:安徳天皇の祖母)の四柱。
久留米水天宮は、建礼門院に仕えた按察使局伊勢(あぜちのつぼね・いせ)が、壇ノ浦の戦い後、久留米に移住し、インド仏教の水神「水天」とともに平家一門の菩提を弔ったのがはじまり。周辺の民に請われ加持祈祷などを行ったところ霊験あらたかで、尼御前神社と尊称されました。
元和6年(1620)、丹波福知山藩主だった有馬豊氏(ありまとようじ)に筑後久留米21万石が与えられ、翌年入封。慶安3年(1650)、久留米藩2代藩主・有馬忠頼が、水天宮(尼御前神社)に、筑後川を臨む広大な土地を寄進し、社殿を造営。現在に至ります。
天之御中主神は、古事記の冒頭一番最初に出てくる神で、日本の神々の祖先神。もともと水天宮の御祭神ではなかったのですが、明治の神仏分離の際に、「水天」の起源が古代インドの最高神ヴァルナであり、これが天之御中主神と同格という解釈がされ、御祭神となったようです。
本殿
真新しい本殿。免震構造など最新技術が用いられているそうです。
子宝いぬ
久しぶりの再会。以前と比べて輝きを増している気がしました。
寳生辨財天(ほうしょうべんざいてん)
水天宮には「日本橋七福神」の弁財天も祀られています。 弁天様には芸能、財福のご神徳があるということで、こちらもお参りしました。
ご朱印
参拝を済ませた後で、御神札・御守をお返ししました。
お返しの専用の受付が建物の3階にありました。
同じ3階に、ご朱印の受付もあったので、こちらも頂くことにしました。
ご朱印と一緒に、御供米も頂けました。いつもの御飯に混ぜて炊くとよいそうです。
神社はビルの中でちょっと驚きましたが、境内では神社独特の澄んだ空気を感じることができました。