100名城:愛媛県宇和島市の宇和島城に行く(宇和島城~遊子水荷浦の段畑~木蝋資料館上芳我邸)

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旅の2日目。宇和島市の宿出発は8:10でした。

宇和島城

歴史

1895年に豊臣秀吉の命を受けこの地に入った藤堂高虎が、中世城郭板島丸串城跡地に築いた城。 標高74mの山頂に本丸を置く平山城で、かつては総郭の半分が海に面していました。 1608年高虎の津藩への転封に伴い、富田信高が入封するも1613年に改易。 幕府直轄を経て、1614年に伊達政宗の長庶子、秀宗が10万石で入封して以後、 明治維新まで続きました。

有名なのは幕末、伊達家8代目藩主の宗城(むねなり)。 福井藩主・松平春嶽、土佐藩主・山内容堂、薩摩藩主・島津斉彬とともに四賢侯と呼ばれました。
建物の遺構は、多くありませんが、全国に12しかない現存天守があります。 この天守は、伊達家2代目の宗利が、藤堂高虎のものを建て替えて作ったものだそうです。

天守

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天守から本丸、宇和海方向を見る

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寒桜とメジロ

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藤兵衛丸・矢倉跡

三ノ丸にあったものを移築したもので、現在は郷土資料館(無料)になっています。9時からですが少し前から入れました。中は宇和島出身やゆかりのある著名人のパネルが展示されていました。井関農機の創業者や宝酒造の創業者のほか、学者、芸術家、ジャーナリストなど様々な分野で活躍する人を多数輩出していたことに驚きました。

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上り立ち門

城山南側の登城口、搦手道口にある門。江戸時代初期の遺構のようです。

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桑折氏武家長屋門

城山東北側の登城口に移築された武家屋敷の長屋門。こちらが現在の一般的な登城口だと思われます。 私もここから天守に登りました。

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丸之内和霊神社

城山を囲むように走る国道56号線沿い、宇和島城の追手門があった場所の内側に、 伊達政宗の家臣、山家清兵衛公頼(やんべせえべえきんより)の屋敷がありました。その跡地にある神社です。
宇和島には、もうひとつ大きな「和霊神社」がありますがご祭神は一緒で山家清兵衛。 政宗は、息子秀宗の宇和島入りに伴い、清兵衛に藩政を託しましたが、 藩主秀宗は政宗から信任の厚い清兵衛を疎んじ、清兵衛は道半ばのうちに刺客に殺害されてしまいました。 その後、この殺害に関与したものが次々に変死したため、霊を鎮めるため、伊達家が神社を創建したのがはじまりだそうです。
本当は大きなほうも行きたかったのですが、時間に余裕がないので、ここだけお参りしておきました。

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遊子水荷浦の段畑

国の重要文化的景観選定制度により選定されている、階段状の畑です。

宇和島の中心地から南下し、海岸沿いを快適ドライブ。 ナビは目的地が出てこなくて、近くの漁協を指定しましたが、迷うことなく着けました。 宇和島城から約50分で、現在時刻は11:00。畑の前には、15台ぐらい止まれる駐車場も用意されています。

観光客も駐車場が埋まるくらい来ていました。天気は良いし、 今の時期は畑のジャガイモの葉がきれいで、気持ちの良い場所でした。

沿岸では真珠の養殖がおこなわれています。

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このきれいな景色をどうしたら写真にうまく収められるか、苦戦しました。

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バス停の前を歩いていると、ドーナツ売りのおばさんにコーヒーを飲んでいかないかと声をかけられました。 用意されたベンチに座ると、おばさんは宇和島のことをいろいろ教えてくれました。 このあたりは昔から龍が出る伝説があり、ポケモンGOで龍のレアキャラが出るとか、 長崎に来ていたドイツ人医師シーボルトの娘、イネは、宇和島藩の医師二宮敬作から医学を学び、 日本人女性で初めて産科医として活躍したが、イネの子の高子という人は、 銀河鉄道999のメーテルのモデルなんだとか、 ほかにも、宇和島城で見てきた地元の名士の名前が次々出てきて、びっくりしました。 結局どういう人なのかわからなかったのですが、ただのドーナツ売りではなさそうでした。

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レンタカーのデミオと段畑。

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木蝋資料館 上芳我邸

段畑から約1時間30分。14:00に到着。昨日の棚田で使った内子五十崎ICを経由し、内子町護国駐車場に車を止めて歩きました。

内子は江戸後期から大正にかけて、ハゼの実から蝋を作る産業で栄えた町で、 上芳我家はその中心になっていた家。当時の屋敷は重要文化財になっていて、別棟には資料館があります。

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以下が蝋を搾りだす機械。蝋は、ハゼの実を叩いて粉にしたものを蒸し、それをこの機械で潰して搾って出てきた濃い緑色の液体で、常温になると固まります。つい100年ぐらい前まで、こんな機械が使われていたということに驚きました。

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ろうを漂泊する工程。先ほどまでにできた蝋を溶かし、それに苛性ソーダを混ぜて水に注ぐと粒状になります。 これを木箱にいれて日干しすると、白くなるそうです。 以前は町中にこのような箱が何枚も並べられていたそうですが、温度が高くなると溶けてしまうので、 20分おきぐらいに、上から水をかけて回ったそうです。 今のようなホースはないので、水の入った桶を首から下げての作業でした。 ものすごく大変だったと思います。。

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高昌寺の石造涅槃仏

駐車場に戻る途中、散歩中の地元のおじいさんに声をかけられ「涅槃仏を見ていけ」と言われたので、立ち寄りました。おじいさんが「自分は足が大事だから足を撫でているんだ」と言っていたので、同じように足を撫でておきました。

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伊予灘SA

16:15。空港に戻るには少し時間が早かったので、伊予灘SAに寄りました。 松山市街が一望できる展望スペースがあり、地元のカップルに人気のスポットなんだそうです。

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正面に小さく松山城が見えました。

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松山空港

松山空港に戻ったのは18:00。展望デッキで少しだけ飛行機を取りました。

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19:30の便で羽田に帰ります。機体はB787-8でした。

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本日のルート

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レンタカー、デミオの2日間の走行距離は、335km。燃費は17.93km/lでした。

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