100名城:蒲生氏郷の城、三重県松阪市の松坂城に行く

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100名城めぐりで、三重県松阪市の松坂城に行ってきました。 東京の自宅を5:00に出発し、高速道路を休憩なしでひた走りました。東名阪自動車道の四日市IC付近の渋滞は、 いつもどおりの鉄板で、松坂城には10:30に着きました。 城の隣にある無料の市営駐車場に車を停めて、散策スタートです。

松坂城(三重県松阪市)

築城は1588年。築城主は蒲生氏郷。 氏郷の父は、観音寺城主、六角承禎(ろっかく・よしかた)の重臣でしたが、 1568年、六角氏が織田信長に敗れて滅亡すると、元服前の氏郷を人質に差し出して、信長に仕えました。 氏郷は、そのときから信長に非凡な才能を認められ、重用されます。 信長亡き後は秀吉に仕え、1584年、伊勢国松ヶ島に12万3千石の大名として入封しました。

松ヶ島城は、信長の次男、信雄(のぶかつ)が1580年に築いた城でしたが、 手狭であったため、4km南の現在の地に、新城を築城。松坂城と名付けました。

以来、松阪の地名は「松坂」でしたが、大坂が大阪に統一されたのを受けて、 明治22年の町制施行の際に「松阪」になりました。 ただ、「坂」が「阪」に変わった理由は、縁起の問題からという説もありますが、 はっきりしないようです。 また、読み方も、「まつさか」と「まつざか」が混在していましたが、平成17年の市町村合併に伴い、 「まつさか」に統一されました。

城跡には、建物の遺構はありませんが、城の主要部分の石垣が広範囲にわたって残されています。 これらは、安土城の築城にも加わった氏郷が、同じ職人を連れてきて、 当時の最新技術で組み上げたものだそうです。

このほか、氏郷は城下町の整備も行いました。伊勢街道をこの地を通るように変更したほか、 旧領の近江商人を誘致して町を発展させました。ここは江戸時代の豪商、三井家発祥の地でもあります。

しかし氏郷は、築城からわずか2年の1590年、小田原征伐の軍功により、 42万石(のち92万石)で陸奥国会津に移ります。 伊達政宗の抑えのためであるほか、秀吉が氏郷を恐れて上方から外したともいわれています。

その後、豊臣系の武将、服部氏、古田氏が城主を務めた後、 1619年以降は、紀州徳川藩の所領となり、そのまま明治維新を迎えました。

表門跡

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二の丸跡

江戸時代に入ってから、徳川陣屋(二の丸御殿)を建てられ、役所として機能していた場所。

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二の丸奥からは、「御城番屋敷」がよく見えます。後でそちらも行ってみます。

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本丸跡

奥の石垣のところが、中御門跡。その先が本丸。本丸は、上段と下段に分かれています。 かつて下段には、太鼓櫓、月見櫓、遠見櫓とそれぞれを結ぶ多門櫓があり、 上段には、天守とそれに隣り合う敵見櫓、その対角にある金の間櫓とそれらを結ぶ多門櫓があったようです。 石垣はすべて残っているのに建物は全くありません。残っていたらすごくかっこよかったでしょうねぇ。。

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下段の月見櫓跡。景色は良好。

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月見櫓跡の上から下を覗くと、結構な高さでした。

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本丸上段。

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敵見櫓。

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天守閣跡。

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敵見櫓の石垣。

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裏門跡

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御城番屋敷

松坂城を警護する城番という役職に就いた、紀州藩士20人とその家族が住むため、 幕末の1863年、三の丸に新築された屋敷です。
驚くのは、現在もその子孫によって維持、管理が行われており、現存する19戸中、13戸が借家として利用されていることです。各家の前には表札が掛かり、自転車などが置かれていました。 そのうち1戸は松阪市が借用し、内部を当時の姿にして一般公開されています。

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ここまで、有料になっている本居宣長の旧宅が移築されている隠居丸という郭を除いて、 ざっと全体を見てまわり、見学時間は1時間15分。時刻は12:00前。暑いのでこれで終了にしました。 スタンプは、はじめに城内の歴史民俗資料館でゲットしました。

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一升びん宮町店

100名城めぐり中、いつも食事は適当に済ましてしまいますが、せっかく松阪に来たのだから、 松阪牛を食べることにしました。回転焼肉のお店で、一人焼肉デビューしました。

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一番高い皿は、ロース芯、1600円。次が、特選1200円。しかし、これらは取る勇気がなく、 松阪牛で食べたのは、650円のカルビなど3皿。他、通常の上カルビ1皿、野菜2皿、合計6皿食べて、値段は2600円でした。 やぱり松阪牛は柔らかく美味でした。 最初はもっとたくさん食べられそうな気がしていましたが、充分お腹いっぱいになりました。

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時刻は13:00。旅はまだ続いて、このあと四日市に移動したのですが、長くなったので次の記事にします。

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