靖国神社に行って明治以降の歴史について考える。

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初めて靖国神社に行ってきました。私の身内では、母方の祖父がシベリアに抑留されていたのですが、 無事に帰ってきたため、馴染みの薄い神社でした。

靖国神社(東京都千代田区)

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明治2年(1869)戊辰戦争終結後に、明治天皇の思し召しによって建てられた東京招魂社が始まりで、明治12年に「靖国神社」と改称され今日に至ります。祀られているのは、幕末の嘉永6年(1853)以降、戊辰戦争や西南戦争など国内の戦いで命を落とされた方々や、日清・日露戦争から第二次世界大戦までの対外戦争で亡くなられた方々の神霊、246万6千余柱。

今まで参拝してきたのが主に一の宮神社でしたので、成り立ちから御祭神まで、これまでとはだいぶ異なる神社でした。

参拝のときに神社で祈願することは、大体いつも一緒なのですが、神様がリアル過ぎて、 少し戸惑ってしまいました。。 神社の形式はとられていますが、戦没者の慰霊施設であると言われれば、まぁ納得できます。

また、明治政府が建てたものなので、明治政府にとって賊軍にあたる幕府軍・会津軍や、西南戦争で敗れた西郷隆盛らは祀られていないそうです。神社ならもう少し懐が大きくてもいいんじゃないかな。これも私が神社らしくないと感じたところでした。 一方で、現在の宮司は、15代将軍慶喜の曾孫にあたる徳川康久さんというのは、面白いですが。。

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遊就館を見学して

靖国神社境内に併設された同社の御祭神ゆかりの資料を集めた宝物館です。

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第二次世界大戦で亡くなっていった人のたくさんの遺書を見て、 天皇を神様にして、天皇のために死んで来いなんて、 当時の政府はひどいことをしたものだ、とあらためて思いました。

幕末に欧米列強が押し寄せてきて、明治政府のおかげで、 今、日本で我々が平和に暮らせているという部分もたくさんあるとは思いますが、 それにしても、先の大戦、アメリカへの宣戦布告は無謀でした。

靖国といえば、A級戦犯の合祀がよく問題になりますが、ここが「神社」ならば、その合祀もよいと思いました。それだけでなく、西郷隆盛なども一緒に合祀したほうがよいと思いました。

だからといって、多くの犠牲者を出してしまった、第二次大戦の責任の所在をうやむやにしていいわけではありません。これは「日本政府」が、きちんと総括しなければいけないと思いました。 現在の憲法が戦勝国からのお仕着せだというなら、なおさらです。

ゼロ戦

ニューギニア・ラバウルにあった機体を20年かけて修復したものだそうです。

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回天

人間魚雷というやつです。こんなに大きいものだと思いませんでした。

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