ひたち海浜公園でネモフィラを見た後、寄り道して続100名城の笠間城に行ってきました。
笠間城【常陸国茨城郡】の歴史
笠間城は、標高182mの佐白山(さしろさん)に築かれた城。
鎌倉時代に下野守護の宇都宮氏の一族、笠間時朝(かさまときとも)が築城したと伝えられており、
1590年に宗家の宇都宮氏に滅ぼされるまで、約370年にわたり笠間氏が本拠としました。
1597年に宇都宮氏は突然豊臣秀吉によって改易され、翌年蒲生氏の所領となると、その家臣蒲生郷成が城代となり、近世城郭に改修しました。
関ヶ原の戦い後は、家康が実父という説もある松井松平家の松平康重が入り、笠間藩を立藩。笠間城が藩庁となりました。
以後、藩主は目まぐるしく変わりますが、1747年、徳川譜代の大名の牧野氏が藩主になると明治維新まで続きました。
江戸時代に入ると、全国の山城の多くは山麓に機能を移されてなくなりますが、
笠間城は、山麓に造営された下屋敷とともに維持されていたそうです。
笠間城訪問記(2018/04/21)
続100名城の公式ガイドブックによると、続100名城は、100名城と比べて天守や櫓などがない地味な山城が多く選ばれているとのことでした。
おそらくここもその一つ。周辺に城への案内表示がないなか、カーナビの案内も目的地周辺で終わってしまい、最寄りの駐車場もわかりません。
少し進んだところに、近隣の「笠間つつじ公園」で開催中の「つつじまつり」のものであろう臨時駐車場があったので、そこに車を停めて、お城を目指すことにしました。
千人溜まり跡
少し坂道を上ると「千人溜まり跡」の駐車場がありました。ここが停めたかった駐車場。 広い駐車場で車もそこそこ停まっていましたが、人の姿はありません。みんなどこに行っているのでしょうか。 ここにも道案内はなく、下の写真の右側に山へ続くような歩道があったので、そこを進みました。
本丸跡
案内のない山道を歩くのは少々不安でしたが、しばらく登っていくと石垣が見え、本丸跡に出ました。
本丸にあった案内板。中央上部周辺が本丸で、左上が天主跡になります。
八幡台櫓跡
本丸のなか、少し高くなった土塁のところが八幡台櫓跡。かつては、この石碑の反対側からの眺望がよかったようですが、 今は木々に遮られて視界不良です。
天守曲輪
東櫓門のあったところから天守曲輪に向かう道。マニアの方のサイトの記事ではここがこの城最高のロケーションと書かれていましたが、 12年前のレポートなので、どうでしょう。今は少し木々に遮られている感じがします。
天守曲輪の石垣。関東でこれだけの石垣が残っているお城は珍しいのだそうです。 続100名城のスタンプの絵にもなっている石垣と思われますが、一部がシートに覆われていました。 東日本大震災の被害で崩れてしまったそうです。
天主櫓跡・佐志能(さしのう)神社
天守曲輪の石垣の右側にある石段を上ったところが天主跡です。 神社は笠間城の廃材を使用して明治時代に建てられたそうです。崩落の危険性があるため、立ち入り禁止になっていました。
石倉
天守曲輪に、めずらしく佐志能神社と分岐する道案内があったので、何だかわからないまま「石倉」にも行って見ました。 後で調べたところによると、もともと自然の石がゴロゴロあった場所で、石垣もここにある石を使ったと考えられているそう。 一番先にある石の上にも登ってみたのですが、ここも眺望はいまいちでした。
大手門付近の石垣
本丸から千人溜まりへ戻る道は、来た道のほかにもう一つありそうだったので、そちらを通ることにしました。 こちらが大手門からの表の道でした。この道も途中に案内はなく、歩きながら少し心配になりましたが、石垣が見えて安心しました。
戻ってきた千人溜まり駐車場で何人か人とすれ違いました。お城を歩いている間は、本丸で一人おじさんに会っただけ。
1時間弱でまわれましたが、道案内の表示がないなか、ひとけのない山中を歩くのは、なんとなくずっと心細かったです。
明るい時間でよかったと思いました。
続100名城スタンプは「かさま歴史交流館井筒屋」で
かつては明治から約120年間続いていた旅館「井筒屋本館」で、
東日本大震災の被害を受けて営業できなくなったところを、笠間市が買い取り、リノベーションした建物とのこと。
2018年4月にオープンしたばかりでピカピカでしたが、柱や梁は昔のままだそうです。
はなれの2階が歴史展示コーナーになっていました。コンパクトですが笠間城の歴史がよくわかりました。
150年前に写真が普及していなかったことが残念。壊す前の写真があったらよかったのになぁと、どこのお城に行っても思います。
八幡台櫓が移築されている真浄寺
井筒屋から徒歩10分くらいだったので、歩いて見てきました。
まとめ
笠間といえば笠間稲荷神社が有名で、お城はこれまで観光資源として重視されていなかった様でしたが、
続100名城に選定されたのをきっかけに、これから少し整備されるでしょうか。
ただ東日本大震災の被害も大きく残っており、こうした文化遺産を維持することの大変さも感じました。