車検の代車でデミオのディーゼル(XD)を借りたので、試乗も兼ねて出かけてきました。 およそ往復100kmのドライブです。
続100名城スタンプは「酒々井町中央公民館」
以下の写真の木々に覆われた場所が城になります。 現地の案内図なしで行っても、なんだかさっぱりわからない可能性が大。
公民館には数種類のガイドが置いてありましたが、そのうちの「散策マップ」が非常に役に立ちました。
ネットにもPDFファイルがありましたので、リンクを貼っておきます。
本佐倉城散策マップ - 酒々井町
本佐倉城の歴史
鎌倉時代より千葉城を本拠に、下総守護を世襲してきた千葉氏。
1454年に始まった古河公方と関東管領上杉氏の対立(享徳の大乱)は、千葉氏内部にも飛び火し、
一族で公方派と上杉派に分かれて争うようになりました。
その結果、上杉派だった千葉宗家が滅ぼされ、一族の岩橋輔胤が千葉氏を継承。
文明年間(1469-1489)に本拠を佐倉へ移し、築城されたのが本佐倉城です。
千葉氏は、3代勝胤の頃に最盛期を迎えますが、その後、後北条氏の拡大に伴い影響を受けるようになり、
1590年、秀吉の小田原攻めの際に後北条氏方につき、改易、滅亡しました。
本佐倉城も、徳川家康が関東に入封してまもなく現在の千葉県佐倉市に新たに佐倉城が築かれ、
廃城になりました。
本佐倉城
マツダのナビでは検索に出て来なかったのですが、
中央公民館の前から道に案内表示が細かく出ていて、それを辿って迷わず着くことができました。
ただ、田んぼの間の細い道を通るので注意が必要。小さいデミオでよかったです。
以下の写真の奥が駐車場になっています。
駐車場のある場所は「東山馬場」と呼ばれた城の内部。 坂を上がった先を右に曲がると「東山虎口」が見えてきます。
東山虎口
写真の虎口を進むと城の北側の出口に出ます。 もう一度城に入って、ここからは先ほど入手した「散策マップ」に沿って歩くことにしました。
物見台
「東山虎口」右側の土塁の上は、この城一番のビュースポット。天気の良い日は正面(北)に筑波山が見えるそうです。 城があった頃、下の写真の中央を横切っている京成線の線路の向こう側は、すぐ印旛沼だったそうです。
城の北側がアールにカーブしているのがよくわかります。
城山と奥ノ山間の大堀切
左が城山で、右が奧ノ山です。
城山虎口への道
城山虎口
城山
本曲輪に相当する場所と考えられており、主殿や庭園の跡が見つかっています。 周囲は土塁で囲まれていて、角には矢倉があったようです。
城山の木橋跡(推定)
城山から奥ノ山へは木橋が架かっていたと考えられています。
奥ノ山
二の曲輪に相当する場所で、儀式や儀礼のために使われていたと考えられています。
倉跡
三の曲輪に相当する場所と考えられています。
妙見神社
南側、奥の山と倉跡の間の細い道を下っていったところにある神社。
向根古屋
内郭を降りたところが「根古屋」。
根古屋とは、一般的に山城に対して麓の城主の館などがあった場所のことであり、
ここでもそうしたものがあったと思われます。
その向こうに「向根古屋」と呼ばれた郭がありました。
根古屋と向根古屋の間には、かつて「中池」という池があったそうです。
向根古屋から本佐倉城を望む
向根古屋まで歩いて行き、城の方向を見てみました。 右側が本曲輪の城山で、左側が二の曲輪の奧ノ山。
城側に戻り、「根古屋」に沿って西方向に歩いて行くと、再び城中に入ります。 しかし、この先は整備の状態が悪く、どこを歩いているのか次第にわからなくなりました。
セッテイ空堀
"セッテイ"と名付けられている曲輪は、どのように利用されていたかわかっていないそうです。
その名の通り「接待」に使われたとか。
ここはその脇にある空堀で、説明板には「城で最大の空堀がある場所」とありましたが、
どこを指しているのかよくわかりませんでした。
セッテイ虎口
虎口を入ってみたものの、曲輪がどこからどこまでなのか、よくわかりませんでした。
金明竹
この付近に群生する黄色い縞模様の入った珍しい竹だそうです。
南奥虎口
ようやく城の北側の出口に出ました。もう少し先の「東山虎口」まで歩いて一周です。
所要時間は約90分(14:20-15:50)でした。