続日本100名城:静岡県掛川市の高天神城に行く

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今週は、天気と相談して、静岡県の二城に出かけてきました。 最初に行った高天神城は、室町時代に戦国大名の今川氏が遠江侵攻の拠点として、標高132mの鶴翁山に築いた山城。 その後は、徳川氏と武田氏が激しい争奪戦を繰り広げました。

続100名城スタンプは「大東北公民館」

はじめに、城の東側2km弱ぐらいの場所にある市の公民館でスタンプを押しました。 山城なのでここで案内図をしっかりもらっていきます。

高天神城

高天神城

高天神城の歴史

現地案内版より

高天神城は、室町時代、駿河の今川氏が遠江侵攻の拠点として築いたとされ、 戦国時代には遠江をめぐる武田氏、徳川氏の激しい攻防の舞台となりました。

元亀2年(1571)には、武田信玄が徳川方となった高天神城を攻めており、 このときは大規模な戦闘は行われませんでした。

天正2年(1574)5月には、信玄の息子勝頼が当城に攻め寄せ、 徳川方の城主小笠原与八郎長忠は1ヶ月程の籠城と激しい戦闘の末、開城し武田方に降っています。

その後、武田方となった高天神城は徳川家康の攻撃をたびたび受けることとなります。 天正3年(1575)5月の長篠の戦い以降、勢力が衰えた武田氏は当城を支えきれず、 天正9年(1581)3月22日、ついに落城しました。高天神城はその後すぐに廃城となり、現在に至っています。

訪問記

登城口は、追手口と搦手口の2か所。表玄関である南の追手口から入城しました。

追手口

高天神城

想像図

この図を見ながら歩いて行きます。

高天神城

入口

高天神城

追手門

高天神城

着到櫓門

高天神城

三の丸

城の最も東の部分。周囲に土塁が盛られているのがよくわかりました。

高天神城

本丸入口

高天神城

御前曲輪

本丸手前の曲輪。

高天神城

御前曲輪からの眺望

高天神城

元天神社

高天神城の守護を担う神社として創建された高天神社が、西の丸に遷宮される以前に鎮座していた場所。

高天神城

本丸

高天神城

高天神城

本丸出口

高天神城

的場曲輪

本丸下の曲輪。

高天神城

大河内幽閉の石風呂

的場曲輪から本丸脇の帯曲輪を歩いていった先のところ。 天正2年、城主・小笠原長忠が武田方に降った際、その家臣の「大河内政局」は勝頼の命に服さず、ここに幽閉されました。 天正9年、再び徳川方が入城し、救出されたときには歩行困難になっていたそう。 その後、家康に召し抱えられますが、長久手の戦いで討死。戦国の世は厳しいですね。。

高天神城

北側の搦手口に降りていきます。

三日月井戸

その途中にあった三日月型の井戸。岩壁から水が染み出ているそうです。

高天神城

搦手門

ここから再び城に入り、来た道を戻ります。

高天神城

搦手門からの登城道

この城の中で、一番きつい急坂でした。

高天神城

振り返って見たところ

高天神城

井戸曲輪・かな井戸

搦手口を上がったところ。東峰の本丸と西峰の西の丸を結ぶ曲輪。 ここから西側は、城が武田方になった後に徳川との戦闘に備えて作られたようです。

高天神城

二の丸

西の丸の北に位置する曲輪。

高天神城

袖曲輪

高天神城

横堀

城内では、袖曲輪~堂の尾曲輪~井楼曲輪が繋がる斜面が最も傾斜が緩いため、 ここに堀を掘って防御を固めたとのこと。こうした横堀や堀切が武田の城の特徴なのだそうです。

高天神城

堀切

曲輪の間の堀切には橋が架けられていたようです。

高天神城

堂の尾曲輪

高天神城

堂の尾曲輪から、袖曲輪との間の堀切を見下ろしたところ。迫力がありました。

高天神城

井楼曲輪

堂の尾曲輪の先、一番北に位置する曲輪。

高天神城

西の丸

現在は高天神社が建てられています。 徳川吉宗が現在の地に遷座したそうです。お正月の時期は賑やかになるよう。

高天神城

西の丸と馬場平の堀切

高天神城

馬場平

西峰の一番南の曲輪。

高天神城

馬場平からの眺望

高天神城

以上で散策終了。追手口まで戻ってきたときに足がつり、難攻不落の城を実感。 所要時間は約2時間でした。





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