2018年10月 6日

続100名城:新潟県妙高市の鮫ヶ尾城に行く

台風25号が近づくなか、新潟方面の天気予報は晴れ。 今日は、新潟方面の城攻めをすることにしました。 東京の自宅出発は、5:30。はじめに向かったのは、 妙高市の鮫ヶ尾城(さめがおじょう)です。 大きな渋滞はなく、9:45に「斐太(ひだ)歴史の里」の駐車場に着きました。

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「斐太歴史の里」は、「鮫ヶ尾城跡」「斐太遺跡(3世紀頃に存在した集落遺跡)」「観音平・天神堂古墳群」がセットになった史跡公園です。 公園内には竪穴式住居の復元もありました。

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斐太歴史の里総合案内所で100名城スタンプGet

案内所の女性から、宮内池から東登城道を通って本丸に行き、 北登城道から戻るコースを勧められたので、その通りにまわることにしました。

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案内所を出て、正面に見える建物の先に城跡への入口があります。

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鮫ヶ尾城【越後国】の歴史

標高185mの山城。16世紀に上杉氏が春日山城の支城として築いたと考えられています。 1578年に上杉謙信が急死すると、家督の後継をめぐり、 上杉景勝と上杉景虎との間でお家騒動(御館の乱)が勃発しました。 景虎は、山内上杉家の元当主、上杉憲政にも支持され、 当初は戦いを優位にすすめますが、 景虎を支持していた武田勝頼が景勝と和睦すると、 次第に景勝が優勢となり、景虎は敗走。

関東へ逃れるため、景虎擁立派だった家臣の堀江宗親が城主を務める鮫ヶ尾城に入城しますが、 宗親は寝返り、その後、城は総攻撃を受けて落城。 景虎はここで自刃し、城はそのまま廃城になったようです。

訪問記

宮内池を経由して時計回りで城をまわります。

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宮内池

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東登城口との合流地点

道の周囲には弥生時代の遺跡が数多く見つかっているそうです。

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大堀切5

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東一の丸

発掘で山城の遺構の下から弥生時代の墳丘墓が見つかったそうです。

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堀切6

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南登城道との合流地点

まっすぐ行った先に本丸の東屋が見えますが、先に左の南登城道のほうに行って見ます。 案内所のかたに、南登城道が当時城に入る表の道で、井戸や虎口などがあると教えてもらいました。

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三の丸

発掘で炭化した「おにぎり」が出土したそうです。

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井戸

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虎口

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南登城道

虎口を少し下りて当時の道の雰囲気を感じてみました。左右に折れ曲がりながら登っていきます。

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元の合流点まで戻ります。

二の丸

発掘調査により中央に約13坪の掘立柱建物が1棟存在し、その周辺に投石用の礫石が集積されていたことがわかったそうです。

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本丸

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眺望

高田平野を望む。中央左に北陸新幹線の上越妙高駅。右に見える一番高い山は米山です。

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米蔵

今も戦禍で焼けた米が出てくるのだそうです。

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眺望

直江津港とその奥にうっすら見えるのは佐渡島と思われます。

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景虎清水

帰りの北登城道はあまり見どころはありませんが、途中「景虎清水」の看板があり、行って見ると湧水がありました。

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北登城道入口

案内所横の北登城道入口まで戻りました。

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斐太神社

延喜式にも名を残す古社。御祭神は大国主命・事代主命、建御名方命。

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雁田神社

斐太神社の境内社。御祭神はイザナギ、イザナミで、御神体は男根、女陰の陰陽石。 なかなかリアルなものがありました。

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駐車場に戻ったのは11:45。登城時間は、ちょうど2時間でした。

続いて、上越市の高田城に向かいます。。








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