群馬県で続100名城に選ばれた城は、沼田城、名胡桃城、岩櫃城の3城で、すべて真田氏ゆかりの城になります。
先週、沼田城と名胡桃城に行った続きで、今日は岩櫃城に行ってきました。
岩櫃城は、標高802.6mの岩櫃山(いわびつやま)の東側の丘陵に築かれた城。
以下は、本日登城後に南西側の古谷登山口駐車場から岩櫃山を撮った写真です。一番高く見えるところが山頂でしょうか。
断崖絶壁感がすごいです。
城跡へ行くには、北東側の平沢登山口が近道。続100城スタンプも平沢登山口の観光案内所にあるので、
はじめにそちらに向かいました。
先週、東京外環道、関越道で大渋滞に遭ったことを踏まえて、今日は少し早めの7:30過ぎに東京の自宅を出発。
先週よりはいくらかマシで、平沢登山口の駐車場に10:50に着きました。
観光案内所でスタンプを押していると、案内所のおじさんがすーっと近づいてきて、
岩櫃城オリジナルの続100名城ボールペンと、続100名城の群馬3城のスタンプを集めるともらえるクリアファイルをくれました。
案内所にある城の模型で全体のイメージをつかみます。岩の壁がすごい!
岩櫃城【上野国吾妻郡】の歴史
築城年、築城主は不明。永禄年間(1558-1570)初期、上野国吾妻郡の全域は斎藤憲広が制圧していました。
斎藤憲広は、もともと関東管領上杉憲政に被官していた武将です。
憲政が後北条氏に攻められ、長尾景虎(のちの上杉謙信)を頼って越後国へ逃れた後も、
上杉氏残党として所領を維持していました。
しかし、郡内の豪族、羽尾氏と鎌原氏の抗争に介入したことをきっかけに、
信濃の豪族、真田氏とその主家である武田氏に攻められることとなり、斎藤氏は滅亡。
以後、武田家郡代として真田昌幸の父、真田幸隆が岩櫃城主となりました。
1580年に真田氏が沼田城を攻略すると、岩櫃城はその支城として扱われました。
1582年、武田勝頼は織田軍に攻められ、居城の新府城を捨てて敗走します。
真田昌幸は主君である勝頼を迎え入れるため、岩櫃山の南に御殿(潜龍院)を急造しますが、勝頼はここには来ず、甲斐国都留郡の小山田信茂を頼って岩殿城に向かいました。ところが、その途中で信茂に裏切られ、天目山でやむなく自刃。武田氏は滅亡しました。
岩櫃城は、江戸時代に入ってからも真田氏の城として利用されましたが、
1615年の一国一城令により破却され、廃城となりました。
岩櫃城訪問記(2018/11/10)
観光案内所にあった模型でもなんとなくわかりますが、岩櫃城の本丸までは普通に行くことが可能です。しかし、岩櫃山の山頂まで行こうとすると、途中、滑落事故で亡くなる人もおり、油断はできません。案内板には、冬期(1~3月)は降雪、凍結の恐れがあり、登山を自粛するようにと書かれていました。
まだ秋だし、せっかくならば山頂を目指したい。
一昨年富士登山をしたときに使った登山靴とストック、手袋を用意して、城に向かいました。
平沢登山口
コースタイムは、登山口から本丸までが、約15分。岩櫃山山頂までが、約60分です。
「尾根通り」と「沢通り」の分岐
登山口からすぐのところに分岐。城跡へは、左の「尾根通り」を進みます。
中城跡
三の丸に相当する曲輪です。
中城跡を過ぎて道は右に曲がり、堀底道を登るようになります。
本丸南下、最下段の空堀より
堀底道を登った先。右側、見上げたところが本丸。本丸下には階段状に横堀が何段か掘られています。
二の丸へ向かう階段
本丸南下、二段目の空堀より
先程の空堀から一段上がったところ。紅葉の木があるところが本丸です。
山麓側。いい景色です。
二の丸跡
二の丸と本丸の間の堀
写真では伝わりにくいですが、迫力がありました。
本丸への階段
本丸
南方向の竪堀
城郭考古学者の千田先生が絶賛していた竪堀です。
北側土塁
東西に伸びる本丸北側の土塁の下は崖になっています。
土塁上から北東の眺望
本丸上段
本丸は上下二段になっており、上段に城址碑が建っています。
碑の南側の少し盛り上がったところに櫓台跡。
本丸下段
本丸上段より下段を見下ろす。
木の伐採をしていた地元のおじさんが「今年はあまり紅葉が綺麗ではない」と話してくれました。
岩櫃山山頂へ
本丸北側の土塁上を西方向に進んでいくと、ここからは、岩櫃山への山登りになります。 「尾根通り」5合目を過ぎた天狗岩までは順調でした。
そのすぐ先に「岩場あり」と「岩場迂回路」の分岐があります。 迷わず迂回路を選択しましたが、迂回路は、道がはっきりわからず、不安になりながらの道中でした。 合流点に復帰後は、紅葉の綺麗なところを通りました。
6合目にあたる沢通りとの合流地点「天狗の蹴上げ岩」以降は急登。 はしごと鎖がたびたび出現し、少しずつ気力が失われていきました。
9合目の看板のすぐ先に、岩があり、ここに人が溜まっていたので、頂上かと思ったら、 本当の山頂は、この岩を鎖で下りて、向こうの岩を鎖で登ったところでした。
あんなところ無理!
普通ならやめるところですが、周囲にいた人は皆、年配の女性や小学生ぐらいの子供も登っています。
気力を振り絞り、鎖を降りて、バランスを崩せば崖に落ちそうな細い岩場を通って、山頂の岩の鎖を途中まで登りました。
が、ここで足がつり、断念。頂上まであと鎖一本でした。。
ここまで、靴はちゃんとしたものでしたが、カメラなど荷物を入れていたのはリュックではなく、メッセンジャーバッグ。
最後の岩場は、メッセンジャーバックが邪魔で、体を振られてバランスを崩しそうになり、本当に怖かったです。
下の写真は山頂の岩のほうから登ってきた岩を見たところ。向こうの岩の上まで戻らないといけません。
帰りは比較的楽といわれる「沢通り」を通って戻りました。その名の通り、沢を歩いていく感じ。 石がボコボコで歩きにくく、それほど楽でもありませんでした。
岩櫃城まで戻ってきたところで、本丸西北の木戸跡と枡形虎口跡に立ち寄りました。
平沢登山口に戻ったのは14:00。スタートが11:00だったので、往復ちょうど3時間でした。
四万温泉・積善館
山登りの後は温泉でリフレッシュするため、四万温泉・積善館に移動しました。到着は15時過ぎ。
ここは、創業が元禄7年。千と千尋の神隠しに出てくる「油屋」のモデルといわれる宿です。
日帰り入浴も可能で、1200円で、大正ロマネスク様式の「元禄の湯」と混浴の「岩風呂」に入れます。
一度行ってみたいと思っていました!
「元禄の湯」は入口の扉を開けると、そこに5つの浴槽があり、脱衣所は入口を入った隅で脱ぐタイプ。
空いていたので、浴槽は一人ひとつずつ使えて、気持ちよく入れました。
混浴の「岩風呂」は、脱衣所は男女別で、お風呂場への扉を開けた先から男女一緒になります。
お立ち台のようなところから階段を下りて、目の前の浴槽に入ります。
その様子は浴槽に入っている人から丸見え。
女性にとっては明らかにハードルが高そうなお風呂で、女性は一人もいませんでした。
桐の木平 駐車場(無料)
四万川