山口、津和野、萩を巡る旅の最終日。今日は、はじめに萩城に行き、松下村塾を見た後で、
毛利家の廟所がある東光寺と大照院をまわります。
その前に、宿泊した「萩観光ホテル」から近くの、「笠山椿群生林」のヤブツバキを見に行きました。
丁度おとといから、毎年開催されている「萩・椿まつり」が始まりました。
「笠山椿群生林」のヤブツバキ
笠山の北端、虎が崎の10haの敷地には、2万5000本のヤブツバキが自生しています。
宿を7時前にチェックアウトし、「まつり」がはじまる時間前に立ち寄りました。
それにしても、椿の木がこんなに背が高くなるとは知りませんでした。
アーチ状の姿に迫力はありましたが、花はまだ少し時期が早かったようで、あまり咲いていませんでした。
一番いい時期はすごいでしょうね。。
萩城
続いて萩城へ。少し手前の「菊ヶ浜駐車場」(無料)に車を停めて、 そこから城まで歩くことにしました。
菊ヶ浜
指月川(しづきがわ)越しに見る指月山。指月川は人工的に作られた水路(疎水)です。水の綺麗さに驚きました。
萩城の歴史
関ヶ原の戦いで西軍の総大将を務めた毛利輝元は戦後、徳川家康に隠居を命じられ、
毛利家は、子の秀就が、6歳で家督を継ぎ、長門・周防2国に移封となりました。
輝元は秀就の後見人となり、広島城にかわる居城として、1604年、萩に築城を開始します。
ここは、かつて津和野城主の吉見氏が出城を築いた場所で、直前には吉見正頼の隠居所だったところでした。
城郭の構造は指月山麓の平城部分と山頂の山城部分を合わせた平山城。
幕末の1863年、13代藩主・毛利敬親が、幕府に無許可で藩庁を山口に移すと萩城の重要性は薄れ、
明治維新後の廃城令により、天守閣や櫓が解体されました。現在は、庭園や石垣、堀の一部が往時の姿をとどめます。
幕末、明治維新の中心となった長州藩ですが、そのあたりの話はまたの機会にしたいと思います。。
二の丸東門
ここから中に入りました。
本丸門
萩城定番のショット。
本丸部分は、現在、指月公園として整備されています。開園時間の8:30と同時に中に入りました。 それまで入口の前で時間を潰していたのですが、 そのときの受付のおじさんの様子だと開園前でも中に入ってよかったようです。
天守台
内堀の石垣の上から。
では登っていきましょう。
奥が天守跡。手前部分のここには付櫓があったようです。
天守台の上。礎石が残っています。
以前見たNHKの番組で「堀の向こう側、指月山の手前あたりに大奥があった」と紹介されていました。
本丸門のほうを見たところ。
詰丸跡
指月山(標高143m)山頂の詰丸は、戦時に籠城するために作られた場所で、
平時には周囲に築かれた矢倉から海上と陸地を監視していたそうです。
本丸からの所要時間は約15分でしたが、かなり急な山道でフーフー言いながら登りました。
土塀は復元されたものみたいですが、落書きがひどくて残念でした。
矢倉門
本丸
矢倉門を入ったところが二の丸で、その東側一段高くなった場所が本丸でした。 写真は本丸から二の丸を見たところ。左に見えるのが入ってきた矢倉門です。
大きな石のある場所は「貯水池」と看板が立っていました。不思議。。 まわりに転がっている石にはノミで叩いたような跡がたくさんついていました。
南東方向の眺望。木が生い茂っていまいちでした。
埋門
裏口にあたる門
志都岐山神社
山麓の本丸跡には、明治になってから歴代藩主を祀る神社が建てられました。
東園跡
6代藩主毛利宗広により二の丸に作られた庭園。
潮入門
東園跡から東に歩くと石垣があります。 正面の海は日本海。右側の土塀は昭和40年に復元したものです。
このとき時刻は9:40。指月山の山登りが効いて大分疲れました。。 旅行前から萩城周辺の行きたい場所もいろいろ調べてきたのですが、 すべてをまわれる体力も時間もなさそうだったので、 ここから、優先順位をつけて駆け足でまわることにしました。
松下村塾
吉田松陰が指導していた私塾で、門下生に久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文などがいました。 当時の塾舎が現存しており、世界遺産になっています。その小ささに驚きました。現在は松陰神社の境内に佇む感じ。
松陰神社
御祭神はもちろん吉田松陰です。
東光寺
3代藩主毛利吉就が建立した寺院で、死後はその菩提寺となりました。 廟所には、3代吉成、5代吉元、7代重就、9代斉房、11代斉元の奇数代藩主とその夫人、 合計10基のほか、枝葉近親者20余基、重臣諸家により献上した石燈籠約500基が並びます。
総門
大雄宝殿
毛利氏廟所
中央が3代吉成とその夫人のお墓です。
大照院
2代藩主綱広が、初代秀就の菩提寺とするため、荒廃していた大椿山歓喜寺を再建し、霊椿山大照院と名付けた寺院。 廟所には、秀就のほか、2代綱広、4代吉広、6代宗広、8代治親、10代斉煕、12代斉広と偶数代の藩主とその夫人の墓があり、 重臣やゆかりの深い人々の献上した603基の燈籠が参道に並んでいます。
本堂
毛利氏廟所
初代秀就とその夫人の墓
近親者の墓。 墓石に書かれた文字から子どものお墓がたくさんあることがわかりました。 いつの世のことであれ、子どもの墓は可哀そうで辛くなります。
時刻は11:40。毛利輝元の墓所である「天樹院跡」にも行きたかったのですが、もう体力も時間も限界。 萩散策はこれにて終了とし、旅の最後の目的地の秋芳洞に向かいました。