続100名城:岐阜県可児市の美濃金山城に行く

  •  
  •  
  • Category:

9:00過ぎに家を出発し、行きつけのガソリンスタンドで給油してから現地へ。 場所的に東名で行くか中央道か迷うところですが、ナビが東名というのでそれに従いました。

新東名の新静岡IC-森掛川IC間は、現在、最高速度120Km/hの試行がされており、 意識的に速度を引き上げて通行しました。120km/hを維持するのは結構疲れますね。。

美濃金山城(みのかねやまじょう)に行く前に100名城スタンプ設置場所の「可児市観光交流館」に立ち寄りました。 途中、岡崎SAで休憩。最寄りの可児御嵩ICからは10分くらいで、着いたのは14:30。 どうでもいいローカル情報かもしれませんが、東京江東区からだと、 強烈な渋滞などのアクシデントがなければ、ちょうど5時間くらいで着く場所です。

名鉄広見線「明智駅」横の踏切を渡ったあたりから道幅が狭くなりますが、 このあたりの人は慣れているのか、対向車の速度がみんな速かったです。 途中、城のある標高約277mの古城山が見えて、テンションがあがりました。

20190413_01.jpg 帰りがけに撮った写真

続100名城スタンプ設置場所「可児市観光交流館」

続100名城のスタンプラリーがはじまった平成30年4月にリニューアルオープンした施設です。 「甲冑着付け体験」もできるよう。広さはありませんが、美濃金山城をはじめ、 周辺の山城の案内パンフレットも多数置かれており、なかなか興味深い施設でした。

20190413_02.jpg

普段から衝動買いはしないよう気をつけている私ですが、 小和田哲男さん監修の「戦国武将関係図」というクリアファイルを見つけて、思わず購入してしまいました。 家に帰ってからゆっくり楽しみます。

人物略歴・関連事項・年譜等を網羅した! 読むクリアファイル 『戦国武将関係図W』(見開きダブルポケット式)【ゆうパケット送料無料!(注)宅配便を選択時は送料がかかります。(ご注文後にこちらで追加します。)】

美濃金山城は★★★★☆。登城は桜の季節に「蘭丸ふる里の森」第二駐車場からがおすすめ

先に結論を言ってしまいましたが、これまで100名城、続100名城合わせて117城まわってきたなかでも、 かなり印象に残る良い城でした。

良かったのは遺構が良好に残されていること、規模が見て回るのに適度であること、 眺望がよく、桜が美しいこと。

実のところ、今日は城巡りがしたくて家を出たものの、目的地の下調べは不十分で、 5時間かけてひとつの城を見て帰るのは効率が悪いし、それに見合う城かどうか不安でした。 しかし、来てみると、もっと知名度が高くてもいいんじゃないかと思える城。 季節も天候もベストなタイミングで大満足でした。

今年はこれまでゆっくり花見をする機会がなく、 そのまま季節が過ぎでもまぁいいかなぐらいのテンションだったのですが、 この城のおかげで、しっかり堪能することができました。

蘭丸ふる里の森

美濃金山城のある古城山の麓は、現在「蘭丸ふる里の森」として整備されています。

城跡に一番近いのは出丸跡の駐車場ですが、その手前の「蘭丸ふる里の森 第二駐車場」の利用がおすすめです。 欠点は停められる台数が少ないところですが、桜を楽しむならここがベスト。

「蘭丸ふる里の森」入口

20190413_03.jpg

入口を入って突き当りの右に「堀切の径」がありました。桜は見えず、結構な急坂なのでここはパス。

20190413_04.jpg

左に曲がって「蘭丸広場」に向かいました。

20190413_05.jpg

伝・蘭丸産湯の井戸

蘭丸広場にある井戸。 後に信長の小姓になる森蘭丸が美濃金山城で生まれたときに使われたとの伝えがあるそうです。

20190413_06.jpg

大手道

広場下の大手道は、石畳と石段が続く道です。麓の第一駐車場まで片道約10分。道に植えられた桜がきれいです。 第一駐車場に停めた人はここを上がってきますが、表情は結構きつそうでした。

20190413_07.jpg

登城の径

広場から城跡へ登る道は、途中3つに分岐します。 なんとなく右の道を通りましたが、歩くうちに桜を見るならメインは中央の道のような気がしてきました。 帰ってくるときには、中央の道にします。

20190413_08.jpg

物見台からの眺望

登城の径を登り切ったところに物見台が設置されています。千本桜の絶景。これはなかなか見られませんね。

20190413_09.jpg

20190413_10.jpg

パノラマでも撮ってみました。

20190413_11.jpg

美濃金山城

登城口から先が城跡の領域になります。本丸までは約10分。

20190413_12.jpg

美濃金山城の歴史

1537年に美濃の守護代一族の斎藤妙春が烏峰城を築いたのがルーツ。 1565年、織田信長が美濃を支配すると家臣の森可成(よしなり)が城主となり、金山城と名前を変えました。

1570年、可成(よしなり)は、姉川の戦いの後に起こった、浅井朝倉両軍との戦い(宇佐山城の戦い)で、討死。 その直前に、長男の可隆も初陣の戦いで討死したため、次男の長可が13歳で城主となりました。
1582年、長可が川中島に転封されると三男の乱丸が城主になりますが、同年本能寺の変で弟の坊丸、力丸とともに討死。 長可がふたたび城主になりますが、長可も1584年、小牧長久手の戦いで流れ弾が当たり戦死。

わずか15年の間に6人の父子が亡くなり、六男の忠政が城主になりました。

1600年、忠政がかねてからの希望が叶い川中島に転封すると、 城は豊臣譜代の家臣、犬山城主の石川貞清のものとなり、その後破却されました。

江戸時代、古城山は尾張藩のお留山となり、村人の立ち入りが禁止されていました。 明治時代は皇室の御料林となっていたと伝えられ、戦後は、昭和28年まで国有林だったそうです。

現在の残されている城跡は忠政の頃のものと言われています。 現地の説明板によれば、こうして長年にわたり利用ができなかったことが、 遺構を残すことになったとありました。

三の丸
三の丸門跡

20190413_13.jpg

水の手門跡

この先に水の手。年中清水が湧出する常駐生活飲用水の補給場所があったそうですが、 危険なため立ち入り禁止。

20190413_14.jpg

二の丸西面石垣

20190413_15.jpg

ニの丸

奥に長く広い曲輪。礎石の形状から渡り廊下のある建物があったと考えられているそうです。

20190413_16.jpg

ニの丸物見櫓跡

現在は木で見通しはよくありませんが、敵状監視の櫓があったそうです。

20190413_17.jpg

大手枡形

枡形は攻めてきた敵の進む勢いを鈍らせるために設けられた正方形の平地。 正面入口に一の門、一の門を入って直角に曲がった右側に二の門がありました。

20190413_18.jpg

二の門を入った位置から枡形をみたところ。

20190413_19.jpg

南腰曲輪

20190413_20.jpg

本丸天守台西南隅石

下の部分しか残っていませんが算木積がわかります。

20190413_21.jpg

本丸

天守台の脇の細い石段を上がったところが本丸です。建物跡の礎石がたくさん。

20190413_22.jpg

城跡碑

20190413_25.jpg

北西の眺望。流れる川は木曽川。

20190413_24.jpg

西の眺望。木曽川はこちらが下流の方向。

20190413_23.jpg

本丸東の端から西方向。

20190413_26.jpg

本丸虎口

搦め手側の枡形虎口を本丸から。

20190413_27.jpg

枡形虎口を出て本丸方向に振り返ったところ。

20190413_28.jpg

東腰曲輪

枡形虎口を出たところは東腰曲輪です。

20190413_29.jpg

集水桝と本丸の石垣。

20190413_30.jpg

東腰曲輪の石垣の上に瓦の破片が置かれていました。

20190413_31.jpg

搦手門の先は搦手道。ここは下りずに見るだけにしました。

20190413_32.jpg

出丸跡

登山口まで元の道を戻り、出丸跡へ。第一線防御のため大手口に主郭から独立して築かれた曲輪。

20190413_33.jpg

すばらしい眺望です。

20190413_34.jpg

出丸南面の石垣。

20190413_35.jpg

中央の登城の径を通って蘭丸ふる里の森の第二駐車場に戻りました。少し暗くなってきたので写真は色でごまかし。。 滞在時間は1時間45分。可児市観光交流館も含めて約2時間30分でした。

20190413_36.jpg

名鉄広見線(6000系)

鉄道写真もちょっとやってみたい趣味のひとつ。 帰り道、踏切で待っている間に来た名鉄広見線(6000系)を車の中から撮りました。

20190413_37.jpg

帰りのナビはなぜか中央道経由を勧めてきましたが、行きと同じ新東名で帰りました。 夕方5時に現地を出て、自宅に到着は夜の10時少し前でした。





 

関連記事