続100名城:三重県津市美杉町の多気北畠氏城館に行く

  •  
  •  
  • Category:

久居ICから、君ヶ野ダム湖を経由して登城。 道中は人気のない静かな山奥の里に吸い込まれていく不思議な感覚がしました。

GW初日、できるだけ渋滞を避けたく、朝3:20に東京の自宅を出発しました。 岡崎SAまでは順調でしたが、名古屋付近で激しい事故渋滞などあり、結局到着は11:40。 「北畠神社」隣のJA前の駐車場に車を停めました。

多気北畠氏城館は「北畠氏館」と「その詰城」、「霧山城」の三つで構成されています。

20190427_01.jpg

鳥居をくぐると右に神社と庭園、左に霧山城の表示。

20190427_02.jpg

はじめに右に見える道をまっすぐ歩き、北畠氏館跡にあたる神社と庭園のほうに行きました。

20190427_03.jpg

北畠氏館

もうひとつ鳥居をくぐって境内に入ります。鳥居の左側が庭園です。

20190427_04.jpg

境内の敷地はかなり広め。

20190427_05.jpg

まずは神社に参拝。 現地の案内板によると、神社は江戸期に北畠氏一族の末裔がこの地に小祠を設け、八幡宮と呼んだのがはじまりで、 主祭神は、1342年に霧山城を築いた北畠顕能(あきよし)。それに父、親房と兄、顕家が合祀されています。南朝に尽くした人たちということで、旧社格は別格官幣社です。

北畠氏の歴史

北畠氏は、62代村上天皇(在位946-967)の皇子を祖とする村上源氏中院家の庶流。 北畠親房は南北朝時代に後醍醐天皇に仕えた南朝方の中心人物です。

1336年、親房とともに伊勢に下向した息子は、次男の顯信(あきのぶ)と三男の顕能。 彼らははじめ田丸城を拠点とし、1338年に父と兄が南朝勢力拡大のため東国に向かうと、 顕能が兄に代わって伊勢国司となりました。 1342年、北朝の足利方に攻められて多気に逃れ、霧山城を築城します。

以後、北畠氏はここを本拠とし、1576年に織田信長に攻められるまで、約240年南伊勢を支配しました。 (田丸城は、1440年足利氏と和睦後、北畠氏の支城となりました。)

合祀されている親房長男の顕家(あきいえ)は、建武の新政下の1333年、 後醍醐天皇の皇子、義良親王(後の後村上天皇)を奉じて陸奥国の多賀城で東北地方の統治をしました。 1335年に足利尊氏が反旗を翻すとそれを追って上京。これを破り、九州に追いやった若き名将ですが、 1338年、再挙した尊氏が率いる足利軍に敗れて和泉国堺で戦死。伊勢との直接の関わりはありません。

20190427_06.jpg

現地説明板によると、現在、社殿の建てられている場所に当時の建物もあったようで、 現在、石垣があるあたりから当時の石垣や館への入口跡などが発見されたとのことでしたが、 説明板の指す場所がどこにあたるか、よくわかりませんでした。

20190427_07.jpg

北畠氏館跡庭園

社務所で入園料300円を支払い、庭園へ。 なお、100名城スタンプの設置場所も神社社務所になります。 庭園の造られた時期は、北畠氏館の後期、1530年頃といわれているそうです。

北東から

20190427_08.jpg

西側から

20190427_09.jpg

霧山城

最初の鳥居まで戻って左側に進み、突きあたりに見える井戸の脇を通って登城開始。 城址まで1350m。比高は240m。ネットの口コミ情報では、比較的歩きやすい登山道とのこと。 所要時間は、神社の社務所の奥様は、片道約40分とおっしゃってましたが、ネットでは、片道約60分という人もいました。
いずれにしても長丁場。私は、持参したストックを使いながら、焦らずゆっくり登ることを心掛けました。

20190427_10.jpg

北畠氏館詰城跡

約10分ほどで詰城跡に到着。上下二段の曲輪で構成されています。 正面が曲輪A。上段の曲輪Bには、写真右の細い急坂を登っていきます。

20190427_11.jpg

曲輪A

20190427_12.jpg

曲輪Aからは北畠氏が築いた城下が見渡せます。が、左の青い屋根の下あたりの「六田館跡」が木に隠れて見えなかったのが残念。

六田館

六田館は、北畠氏の一族の居館があったと考えられており、雪姫伝説の舞台の場所。

雪姫伝説

顕能から8代目になる北畠具教(とものり)は、1569年、侵攻してきた織田信長との戦いの末、 信長の次男、信雄が北畠家に養嗣子として入ることを条件に和睦しました。 1575年、信雄は具教の息子、9代具房から北畠氏の家督を相続。田丸城を居城としました。

1576年、信長は三瀬の変を起こし、北畠氏の一族を誅殺します。 その際、具教の娘で信雄正室の雪姫は、この御所で捕らえられましたが、 白狐がこれを救い、姿をくらましたという伝承が残されています。 なお、雪姫と信雄との間に生まれた娘、小姫(おひめ)は後に徳川秀忠の正室となりました。(死去により婚礼には至らず)

信長による北畠氏乗っ取りは成功し、霧山城は落城。そのまま廃城となりました。 1582年、本能寺の変後、信雄が織田姓に復したため、ここで伊勢国司家としての北畠家は滅亡しました。

20190427_13.jpg

曲輪B

20190427_14.jpg

城跡まで610m

登城開始から20分。先には結構な急坂が見えます。。

20190427_15.jpg

城跡まで370m

登城開始から35分。手前の南曲輪までは140m。

20190427_16.jpg

20190427_17.jpg

鐘撞堂(南曲輪)手前の看板

鐘撞堂までもう少し。

20190427_18.jpg

地図を確認。

20190427_19.jpg

鐘撞堂(南曲輪)

登城開始から40分で到着。鐘撞堂は眺めは最高でしたが、強風で飛ばされそうになりました。 登ってくるときは汗をかいていましたが、寒さで凍えるくらい。

20190427_20.jpg

南東の眺望

20190427_21.jpg

北西の眺望

正面に見える二こぶの山は大洞山(おおぼらやま)。

20190427_22.jpg

北曲輪群方向の眺望。

20190427_23.jpg

本丸へ。

先程の地図によれば鐘撞堂を経由して本丸へ行けるようでしたが道がわからず、 地図のあった場所の右側に細い迂回路もあるようなので、そこまで戻って本丸を目指しました。

本丸まであと少し。

20190427_24.jpg

矢倉跡

まずは右側の、北曲輪群のうちの北東の曲輪へ。ここは身の危険を感じるほどの強風で早々に移動しました。

20190427_25.jpg

本丸跡

北曲輪群中央の曲輪。登城から60分で着きました。

20190427_26.jpg

城址碑

20190427_27.jpg

入口を振り返ったところ。

なんとなく虎口のようになっています。

20190427_28.jpg

南西の土塁上から

本丸全景。

20190427_29.jpg

鐘撞堂から見えた大洞山が本丸からも見えました。

20190427_30.jpg

米倉跡

北曲輪群南西の曲輪。

20190427_31.jpg

下山

帰り道では、本丸から鐘撞堂を経由する道がはっきりわかったのでそこを通って戻りました。 下りは、登山口まで約40分。上り約60分、本丸滞在時間が約20分で、往復にかかった時間は約120分でした。 北畠氏館40分とあわせて、2時間40分の滞在でした。

多気北畠氏城館は霧山城がメイン。天候と季節を選んで登れば、楽しめると思います。 地図は自宅に帰ってから、以下の津市のサイトにわかりやすいものがあるのを見つけました。
津市森林セラピー基地「霧山コース」





 

関連記事