続日本100名城:三重県度会郡玉城町の田丸城に行く

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多気北畠氏城館跡(霧山城)からの移動

今日は、多気北畠氏城館跡(霧山城)から田丸城と、南伊勢の城攻めです。 ナビが選んだ国道368号線は、退避場所はたくさんあったものの、 対向車とすれ違うのが困難な峠道が延々と続く、なかなか大変な道でした。
1時間20分ほどで到着。城内の「玉城町役場前の駐車場」に車を停めました。時刻は15時50分。

田丸城

続100名城スタンプは「村山龍平記念館」内の玉城町教育委員会

「村山龍平記念館」は駐車場の目の前にあり、役場と反対側の建物がそれです。 玄関を入って右側が教育委員会のエリアで、男性の職員2人がカウンター越しに対応してくれました。 このおじさんたち、とても感じのいいかたでした。

続100名城とは別にある「田丸城オリジナルスタンプ」も押させていただき、 簡単なアンケートに答えてもらえる「ステッカー」もいただきました。

ちなみに、村山龍平は玉城町出身の朝日新聞創業者。田丸城保存のため多額の寄付をされた方のようです。

田丸城

それではお城を散策していきます。

田丸城(訪問日:2019年4月27日(土))

駐車場の正面にある城の入口は「二の門」です。地図で場所を確認しましょう。 (写真をクリックすると大きくなります)

田丸城

こちらは江戸時代の城郭図。上部中央に本丸、その左右に二の丸と北の丸があり、下部に広い三の丸。 全体の形状は、現在とあまり変わっていない感じです。 三の丸のところは、現在、玉城中学校になっていますが、江戸時代には御殿がありました。

田丸城

それでは二の門を入っていきましょう。

二の門

田丸城

田丸城

二の門脇の内堀

田丸城

二の門を内側から

田丸城

この先いくつかある分かれ道は、左へ、左へと進みました。

蓮池

江戸時代の城郭図にもあった池です。

田丸城

富士見門

本来は、三の丸から二の丸への入り口にあった門。 城外に移築されていたものを昭和59年に町が譲り受け、ここに復元したそうです。

田丸城

そのまま道なりに歩いた先にも、駐車スペースがありました。 写真では見えていませんが、駐車スペースの向かいに御殿跡に建てられた中学校があります。

田丸城

駐車スペース脇の説明板。

田丸城

田丸城の歴史

1336年、伊勢に下向した北畠親房、顯信父子が南朝方の拠点として砦を築いたのがはじまり。
その後、足利氏の侵攻を受けて、一時足利氏の城となりますが、 足利氏と和睦した15世紀なかば以降、北畠氏庶流、田丸氏の居城となりました。

織田信長が伊勢に侵攻を開始すると次男の織田信雄(のぶかつ)を北畠氏に婿入りさせて、 北畠氏の乗っ取りを謀ります。1575年、信雄が田丸城に入城し、天守もその頃に作られたようです。

1580年、火災によって天守など主要部が消失すると、 信雄は松阪市に松ヶ島城を築き、居城を移しました。

1582年、本能寺の変で、信長とその長男・信忠が討たれた後、清洲会議が開かれ、 織田家の当主は豊臣秀吉の推薦した信忠の遺児、三法師(のちの織田秀信)に決まります。 信雄は尾張、伊賀、南伊勢の約100万石を相続。織田姓に復し、北畠氏は滅亡しました。

1583年、秀吉と勝家の争い、賤ヶ岳の戦いが起こると、 信雄は、三男・信孝の居城である岐阜城を攻めて、自害に追い込みます。 秀吉勝利の後、北伊勢を加増され、長島城に移りました。

その後、秀吉との関係が悪化すると、徳川家康と同盟を結び、1584年、小牧長久手の戦いで秀吉と戦いますが、 家康に無断で南伊勢、伊賀、北伊勢の一部の割譲を条件に秀吉と講和。ここで織田家と豊臣(羽柴)家の主従関係が逆転しました。
戦後、伊勢には蒲生氏郷が、領主として松ヶ島城に入り(1588年に松阪城に移る)、 田丸城には、氏郷の妹婿となり蒲生氏の与力大名となった田丸直昌が復帰します。

1590年、秀吉による小田原征伐後の奥州仕置に伴い、田丸直昌は氏郷ともに会津へ転封。 南伊勢は、伊勢岩手城主に牧村利貞、松坂城主に服部一忠、亀山城主に岡本良勝の三者支配となり、 田丸城は稲葉重通(牧村利貞の父、春日局の養父)の預かりとなりました。

1600年、関ヶ原の戦い後、牧村利貞から家督を継いでいた稲葉重通四男の稲葉道通(みちとお)が、 伊勢岩手城より田丸城に入り、田丸藩を立藩。

1616年、稲葉氏は2代で転封。伊勢津藩主・藤堂高虎の支配を経て、 1619年には、紀州徳川家領となり、紀州藩家老の久野氏が城主になった後は、 明治維新まで続きました。

本丸虎口

城は稲葉氏の頃に大改修が行われ、その後幾度かにわたり、修復工事がされたと考えられています。 石垣のほとんどが江戸時代以降のもののようです。

田丸城

田丸城

田丸城

本丸と北の丸の間の堀の下を通って西側へ。 本丸を囲う石垣のもうひとつ外側の石垣は大きく崩れており、結構衝撃でした。

田丸城

北の丸の外側をまわって、北の丸南東から本丸方向を見たところ。

田丸城

本丸虎口を入ったところまで戻り、本丸方向を見たところ。 左は入ってきた本丸虎口、その右を行くと本丸に入る内側の虎口があります。

田丸城

北の丸

その前に、後方の「北の丸」に立ち寄りました。現在、ここには「城山稲荷神社」が建てられています。

田丸城

曲輪の周囲が土塁によって少し高くなっているのがわかりました。

田丸城

本丸

いよいよ本丸へ。立派な虎口を入ります。

田丸城

天守台

田丸城

天守台をあがったところ。少し下がった穴蔵があります。

田丸城

天守台の上から本丸を見下ろしたころ。結構広さがあります。

田丸城

天守台の上から西方向の眺望

水を張った田んぼの風景がとてもきれいでした。写真であまり伝わらなそうなのが残念。

田丸城

左下に見える少し出っ張った石垣は、天守台下の櫓跡です。

田丸城

本丸南西の角櫓跡

田丸城

二の丸への出口

田丸城

本丸と二の丸の間の堀と本丸の石垣

田丸城

二の丸

田丸城

富士見台跡

田丸城

二の丸虎口

二の丸から三の丸への出口です。

田丸城

三の丸側から虎口を見たところ。往時はここに、はじめに見た富士見門があったようです。

田丸城

町役場前の駐車場まで戻り、城とは反対側の大手門跡に行きました。

大手門

田丸城

外堀

田丸城

本日の城めぐりはこれで終了。田丸城見学の所要時間は約90分。 多くの石垣が残り、続100名城に選ばれたのも納得の城でした。

続100名城:三重県津市美杉町の多気北畠氏城館に行く





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