続100名城:三重県度会郡玉城町の田丸城に行く

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美杉町の多気北畠氏城館跡から移動。 ナビで示された国道368号線は退避場所はたくさんあるものの、 対向車とすれ違うのも困難な峠道が延々と続く、なかなか大変な道でした。 1時間20分ほどで到着。玉城町役場前の駐車場に車を停めました。時刻は15時50分。

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続100名城スタンプ設置場所は、役場向かいの村山龍平記念館内の玉城町教育委員会。 対応してくれた二人のおじさんは感じのいいかたでした。何種類もあるパンフレットとアンケートに答えるともらえるステッカーを入手しました。

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訪問記

駐車場の正面の入口は二の門跡。まずは脇の地図を確認。

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二の門

では二の門へ。

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入口手前にある江戸時代の城郭図を確認。上部中央に本丸、右に北の丸、左に二の丸があり、下部は三の丸。 形状は先程の現在の地図とあまり変わっていない感じ。三の丸部分は、現在、玉城中学校になっていますが、当時は御殿が建てられていました。

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二の門

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二の門前の内堀

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二の門を内側から

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この先いくつかある分かれ道は、左へ、左へと歩いて行きました。

蓮池

江戸時代の図にもあった池。

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富士見門

三の丸から二の丸に入る場所にあった門。城外に移築されていたものを、昭和59年に町が譲り受けてここに復元したとのこと。

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少し歩いた先に、ここにも駐車スペースがありました。 写真では見えませんが、駐車スペースの向かいに中学校の入口があります。

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田丸城の歴史

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城は、1336年、北畠親房、顯信父子が南朝方の拠点として砦を築いたのがはじまり。 織田信雄が北畠氏に入り、1575年に入城した後に天守が作られたようです。
しかし、1580年火災によって天守など主要部が消失すると、信雄は松阪市に松ヶ島城を築き、居城を移しました。

織田信雄

1582年、本能寺の変後の清洲会議で、織田当主は信長長男・信忠の遺児、三法師に決まります。 次男・信雄は織田姓に復し、尾張、伊賀、南伊勢を相続し、清洲城に移りました。 同年、秀吉と柴田勝家、信長三男・信孝の対立が激しくなると、秀吉は信雄を織田家当主として擁立。 1583年の賤ヶ岳の戦いで、信雄は秀吉方に属し、岐阜城の信孝を攻め、自害に追い込みました。 戦後、北伊勢を加増され、長島城に移りますが、次第に秀吉と険悪になり、家康に接近。 1584年、秀吉と家康・信雄軍が戦った、小牧長久手の戦いに繋がります。

信雄は、南伊勢、伊賀、北伊勢の一部の割譲を条件に家康に無断で秀吉と講和。 以後、秀吉に臣従しました。

小牧長久手の戦い以降

秀吉方についた蒲生氏郷が伊勢の領主として松ヶ島城に入り(1588年に松阪城に移る)、 田丸城には、蒲生氏の与力大名になった田丸直昌が復帰します。

田丸家はもともと北畠氏の庶流で、室町時代足利氏と北畠氏が和睦した後、 15世紀半ば以降、織田信雄が入城するまで、田丸城を居城としていました。

1590年、小田原征伐の後、蒲生氏とともに田丸氏は会津へ転封。

1600年、関ヶ原の戦功により、稲葉道通(みちとお)が入城し、田丸藩を立藩しますが、子の代の1616年に移封。 津藩主・藤堂高虎の支配を経て、1619年には、紀州徳川家領となり、家老の久野氏が城主になると以後明治維新まで続きました。

本丸虎口

城は稲葉氏の頃に大改修が行われ、その後幾度かにわたり、修復工事がされたと考えられています。石垣のほとんどが江戸時代以降のもののようです。

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本丸と北の丸の間の堀の下を通って、西側へ。本丸を囲う石垣の、さらに外側の石垣は大きく崩れていて結構衝撃でした。

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北の丸の外側をまわり、北の丸南東から本丸方向を見たところ。

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本丸虎口を入ったところまで戻り、本丸方向を見たところ。左は入ってきた本丸虎口、その右を行くと本丸に入る内側の虎口があります。

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北の丸

とその前に、後ろ側の「北の丸」に立ち寄りました。現在は城山稲荷神社が建てられています。

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周囲が土塁によって少し高くなっているのがわかりました。

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本丸

それでは本丸へ。立派な虎口を入ります。

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正面に天守台。

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天守台をあがったところ。少し下がった穴蔵があります。

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天守台の上から本丸を見下ろしました。

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天守台の上から眺望

水を張った田んぼの風景がきれいでした。写真であまり伝わらなそうなのが残念。

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左下に見える少し出っ張った石垣は、天守台下、本丸の櫓跡です。

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本丸南西の角櫓跡。

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二の丸への出口。

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二の丸との間の堀と本丸の石垣。

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二の丸

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富士見台跡

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二の丸虎口

二の丸から三の丸への出口。

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三の丸側から虎口を見たところ。ここにはじめの頃に見た富士見門があったようです。

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車を停めている町役場前の駐車場まで戻り、最後に大手門跡に行きました。

大手門

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外堀

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見学時間は、約90分でした。 多くの石垣が残り、続100名城に選ばれたのも納得の城。 「多気北畠氏城館」とあわせて、今回の登城によって、北畠氏と織田信雄のことがよくわかりました。

続100名城:三重県津市美杉町の多気北畠氏城館に行く





 

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