続100名城:岐阜県大垣市の大垣城に行く

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津城から高速道路経由で移動しました。名古屋の中心部で渋滞にはまり、要した時間は2時間。 「市営丸の内駐車場」に車を停めて、そこから歩いてお城へ。 到着時刻は11:45頃。

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大垣城

目の前の西門からは入らずに乾隅櫓を見ながら北にまわって水の手門跡から入城しました。

乾隅櫓(復興)

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水の手門跡

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地図を確認。が、現在の地図と江戸期の地図が全く異なっていて少々混乱。 本丸と二の丸は、元々水堀に浮かぶ島のようになっていたようですが、 堀はすべて埋められ、完全に地続きになっています。

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本丸には、南側の二の丸を経由しないと、歩いて入ることはできなかったよう。 今いる水の手門には舟でつけたみたいです。先程の西門は、江戸期にはなく、後で開けたものでした。

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水の手門を入ったところから見あげた天守

天守を角に本丸の内部にも石垣で囲われたスペースがあったようです。

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振り返ってみた水の手門

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辰巳櫓跡

天守の対角線上にあった櫓。

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鉄門跡

本当の入口があったところ。

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城郭図

城郭図を確認。ここまで、本丸に水の手門から入り、西埋門のあたりを通って、 辰巳櫓を見ながら、鉄門まできた感じ。

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七間多門跡

鉄門から再び本丸に入り、天守に向かいます。

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東埋門

その前に埋門跡を確認。

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天守(外観復元)

天守は戦前まで現存しており国宝にもなっていましたが、米軍の空襲で焼けてしまいました。 昭和34年に鉄筋コンクリートで外観復元。

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大垣城の歴史

豊臣政権において、東国に対する要として重視された城で、 関ヶ原の戦いでは、石田三成が入城し、ここを本拠にしています。 関ヶ原の戦い後は、徳川譜代の家臣、石川康通が5万石で入城し、大垣藩を立藩。 久松松平氏(康元系)、岡部氏、久松松平氏(定勝系)と代わった後、 1635年に、戸田氏鉄が尼崎藩で治水事業、大阪城修造の大功をたて、 10万石で入城すると、以後、戸田氏が明治維新まで続きました。

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杭瀬川(くいせがわ)の戦い~関ヶ原の前哨戦

慶長5年(1600)6月、徳川家康が上杉景勝を討つため大坂城を発った(上杉討伐)のをきっかけに、7月12日、前田玄以、増田長盛、長束正家の三奉行が、毛利輝元に上坂を要請します。 7月17日、輝元が大坂に到着すると同時に、 三奉行連署による家康の罪状13か条を書き連ねた弾劾状が諸大名に送付されました。

西軍は、7月18日に家康家臣、鳥居元忠の守る伏見城を攻撃、8月1日落城。 その後、大垣城に西軍の本拠を置きました。

家康は、7月24日、下野小山城に着いたところで江戸城に引き返し、三成討伐へ動きます。

8月22日、西軍の前線基地、織田秀信が城主の岐阜城が陥落。 西軍は、伊勢上野城、安濃津城、松坂城などを落として尾張に向かいますが、 東軍の西上の動きを知って美濃方面へ転進。

9月1日、家康江戸を出立。9月14日、東軍は美濃赤坂(大垣)に進出し、 家康は大垣城との距離は数キロしかない、赤坂岡山に陣を敷きました。

その夜、局地的に勃発したのが、杭瀬川の戦い。 この戦いは島左近の活躍で西軍が勝利しました。

その翌日が、天下分け目の関ヶ原の戦いです。

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天守からの眺望

西側、右奥の一番高い山が滋賀県で一番高い伊吹山。その尾根を左に伝って、正面遠くの平らなスペースが関が原です。

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北東、正面の白い看板の右に小さく見える山の上に岐阜城があります。

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天守を東側より

左の通路は江戸期には存在せず、石垣が囲っていたところを壊して作られました。

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東門

先の通路から繋がる立派な門ですが、ここも江戸期は門などなく、石垣が続いていたところです。 この門自体は大垣城への入口のひとつ、柳口門から移築したものとのこと。

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艮隅櫓(復興)

本丸北東の櫓

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堀の名残ですかね。

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竹橋口門

大垣城はかつて三重の堀に囲まれた水の城だったとのことですが、 現在の本丸では、水のイメージが感じられなかったので、 駐車場に戻る途中寄り道して、外堀の役割があった水門川と城門があった竹橋を見に行きました。

水門側と竹橋

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竹橋

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奥の細道むすびの地

もう少し川を下りました。大垣は、奥の細道の旅の終着地だったのですね。 芭蕉は旅を終えた後、ここから舟に乗って、伊勢神宮に参拝にいったそうです。

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船町港跡

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住吉燈台

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感想

見学時間は天守内の展示や周辺散策などすべて含めて約2時間30分でした。 その間の駐車料金は600円。
城跡は江戸期からだいぶ変わっていますが、 天守内の展示は、関ヶ原の戦い関係を中心にとてもわかりやすかったです。 ★★☆☆☆。





 

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