続日本100名城:福島県田村郡三春町の三春城に行く

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東京江東区の自宅からは常磐道・磐越道経由で約3時間。意外と近かったですね。 登城前に三春町歴史民俗資料館に立ち寄り、城のパンフレット(地図)をもらい、続100名城スタンプを押しました。

三春町歴史民俗資料館

資料館は、三春城と道を挟んで反対側の小高い丘の上にあります。 駐車場も、町役場横の細い道を上がって奥まったところにありました。 以下の写真は資料館のわきから三春城を撮ったもの。

三春城

入館料は300円。内部は撮影禁止のため写真が撮れなかったのですが、外観のイメージとはまた違う素敵な内装でした。 ここでざっと三春城の歴史などを確認。城の復元模型が参考になりました。
三春町は数年前に亡くなられた登山家田部井淳子さんの出身地だそうで、エベレスト登頂時の日記なども展示されていました。それとここは自由民権運動発祥の地の一つだそうです。どうしてここがと考えてみたら、会津は新政府に酷い目にあわされたので、 反発という側面もあったのかなと勝手に想像して納得。

三春城

資料館を出たところで、もらったパンフレット(地図)を広げて城の縄張りを確認しました。メインは中心の円部分。写真の左下に今いる歴史民俗資料館が見えています。 地図上に(1)~(5)で示されている城の痕跡スポットを、全て見て回りたいと思っています。

駐車場は「P」のマークで、周辺にいくつか見えています。 さて、どこに停めるか。本丸に一番近いのは二の丸のそばですが、 そこだと追手門のところ、痕跡(5)の「藩講所表門」を見るには、行って戻るかたちになりそう。
資料館でもう一つもらったパンフレットを見ると、地図の左下、役場横の駐車場からでも本丸までは700mだったので、そこに車を停めて歩くことにしました。

三春城

役場隣接の無料駐車場

資料館のある丘を下りれば、そこが役場横の無料駐車場でした。 放射線測定器が置いてありました。0.118μSv/h。国の基準としては一応大丈夫な範囲。

三春城

三春城

三春城は、戦国時代、この地の豪族田村氏の居城でした。

1590年、田村氏は小田原征伐後の奥州仕置によって改易となり、その翌年からは、 伊勢より会津に転封してきた蒲生氏郷の支城となりました。氏郷急死後、跡を継いだ子の秀行は、1598年、秀吉によって宇都宮に転封させられましたが、1601年、家康によって会津に復帰。その後、秀行が31歳、子の忠郷も26歳で死去し、1627年、蒲生氏は伊予松山に転封になりますが、この蒲生氏の頃に、田村城は本丸周囲に石垣が築かれ、城下町の整備がされたといわれます。

1627年、蒲生氏と交代するかたちで伊予松山から加藤嘉明が会津に入った際、三男の加藤明利が3万石を与えられて三春藩を立藩しますが、すぐ翌年に二本松藩へ移封。
代わって、二本松藩から入封した松下長綱の時代に、 瓦葺の建物が建設されるなど、近世城郭として整備されました。 松下家は長浜城の頃のより秀吉に仕えた家。長綱の母は加藤嘉明の娘で、 この時は加藤家の与力大名となっていました。

1641年に二本松藩の加藤家、1643年に本家会津藩の加藤家が次々に改易される中、 1644年、長綱も乱心を理由に改易されてしまいます。
1645年、秋田俊季が5万5千石で常陸宍戸より入封すると、 以後明治維新まで秋田氏が11代続きました。

追手門跡「明徳堂表門(5)」

追手門のあった場所に、城の建造物として唯一残る藩校の表門が移築されています。 現在は三春小学校の校門として使われています。

三春城

居屋敷(いやしき)跡

秋田氏の頃には、山麓に居館が作られ、ここが日常の政務と暮らしの場所になりました。 現在は、三春小学校になっています。

以後、山上の本丸は儀式のときしか使われなくなり、1785年の大火で焼けてからは、 三階櫓しか再建されなかったそうです。

三春城

二の門

本丸を囲う道に出てきました。二の門をくぐって右のほうに行くのが表通り。

三春城

揚土門

三春城

九十九折の道を登っていきます。

三春城

三の門

三春城

その先を登ったところが本丸です。

三春城

表門(4)

礎石が見えました。中が本丸になります。

三春城

三階櫓跡

三春城

ここから三春町の中心部が見られます。

三春城

本丸

三階櫓の位置から。本丸は下段と上段に分かれており、奥に見える一段あがったところが上段。 手前の建物はテレビのアンテナです。

三春城

城跡碑

三春城

裏門から本丸下段

標識に二の丸とありますが、戦国時代、田村氏の居城だった頃は、 本丸上段を本丸、下段を二の丸としていたため、 ここはその頃の言いかたをしているようです。ややこしい。

前に見える東屋のところにも続100名城スタンプとパンフレット(地図)がありましたが、 少なくとも地図は事前に歴史民俗資料館で入手しておくのがよいと思います。

三春城

本丸裏門外の会津蒲生領時代の石垣(2)

わずかしか残っていませんが、見どころのひとつ。

三春城

本丸上段

上段への入口はなんとなく枡形のようになっているでしょうか。

2三春城

大広間跡

三春城

奥跡

真ん中に「秋田家祖先尊霊」が祀られていますが、 これは明治以降に作られたものだそうです。

三春城

本丸からの眺望

地図があったので、周りの山を確認してみましょう。

三春城

南東方向

一番目立っていたのは南東の「片曽根山」でした。

三春城

東方向

尖がった「移ヶ岳」とその右に「鎌倉岳」。

三春城

北西方向

北西は本丸上段からは見づらく下段の三階櫓のところから、安達太良山。

三春城

本丸北東角の会津蒲生領時代の石垣(3)

奥跡の後ろを覗くと石垣が見えました。これはなかなか探せる場所ではありません。 無理やり撮影しました。

三春城

戦国時代末期の石積み(1)

こちらは、表門から三の門まで下り、 地図にない本丸に沿った道を歩いていったところにありました。

三春城

石積みのところの郭。侍屋敷があった場所?

三春城

搦手門

本丸に沿ってさらに進んで行くと搦手門に出ました。

三春城

矢倉跡

まっすぐ行くと裏門から本丸に入ります。 右の階段を下りていくと本丸に一番近い駐車場の郭。

三春城

本丸に一番近い駐車場の郭から矢倉跡の方向。

三春城

二の丸

現在は児童公園になっています。

三春城

二ノ丸下段の郭。

三春城

竪堀

二の門から本丸のほうに行かず、まっすぐ進んだところ。 橋の下の部分に大きな竪堀が掘られているとのことで覗いてみましたが、 草で覆われていて下の道にまわって見上げてみても、 なんとなくしかわかりませんでした。

三春城

お城坂枝垂桜

竪堀を下から見上げる道、車で城に入ってくるときに通る道の途中にある桜。 三春といえば「滝桜」が有名ですが、滝桜以外にも立派な桜の木が周辺にたくさんあるみたいです。

三春城

役場隣接駐車場に戻る

現在の時刻は16時20分。見学時間は約2時間でした。 三の丸は見逃してしまいましたが、行っても広い平場があるぐらいのようです。

実はこの駐車場、13時に歴史資料館に着いた頃は満車で、周辺にも車が溢れていました。 その理由は、今日が三春小学校の運動会の日だったから。 運動会が14時過ぎに終わり、停まっていた車が動き出してくれたので停められました。

三春城

三春滝桜

最後に三春城から4kmほどいったところにある有名な「滝桜」に立ち寄りました。 もう花の季節は過ぎていますが、葉桜でも迫力は十分に伝わってきました。

三春城

もう少し空が青いときに来たかったですねー。

三春城





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