2泊3日で九州北部の7城を巡る旅
この週末は、福岡県と佐賀県の100名城4城(福岡城、大野城、佐賀城、吉野ヶ里)と
続100名城3城(水城、基肄城、久留米城)に行ってきました。
東京からは飛行機で福岡空港往復。九州内の移動はレンタカー。
初日に福岡城と水城に行き、佐賀県佐賀市の「四季彩ホテル 千代田館」に宿泊(2泊)。
2日目に久留米城、基肄城、大野城、3日目に佐賀城、吉野ヶ里を見て、福岡空港に戻りました。
九州北部には、他にも平戸城や名護屋城など100名城・続100名城の城があります。
ひとつひとつの城を堪能するべく、先の7城にとどめたつもりでしたが、
それでも規模の大きな城が多くてハードな旅になりました。
年をとったら大変なので、今のうちにできるだけまわっておかないといけませんね。。
天気は、初日の午後3時まではしっかり雨が降りましたが、以降は晴れました。
城巡りにとっては天候も大切。
雨が続くようなら山城は避けて、他の場所に行くことも考えましたが、
幸い予定を変更することなく、当初の計画通りに旅をすすめることができました。
福岡城のみ2012年8月以来の再訪でした。
100名城スタンプは既に押印済みでしたが、
そのときは全国一宮神社の巡拝のついででよく城を見ておらず、福岡城で撮った写真も3枚しかない状態。
これで城の記事を書くのは無理があるため、もう一度見に行くことにしました。
*今回の福岡城については、2012年の記事に追記しました。
水城の歴史
600年代、朝鮮半島では、高句麗、新羅、百済の三国が抗争を続けていました。
660年、日本が支持していた百済の首都・サビ(現在のプヨ)が唐・新羅連合軍により陥落して、百済は滅亡。
日本は朝鮮半島に援軍を送りましたが、663年、白村江の戦いで大敗します。
この後、ヤマト政権(天智天皇)は、唐・新羅連合軍が日本にも侵攻してくることを恐れ、
北部九州に防衛施設を築きました。
今回訪れる、水城、大野城、基肄城(きいじょう)がこれにあたります。
水城は、664年、東西の山を結んだ平地に全長1.2km、幅80m、高さ13mで築いた人工の土塁で、
博多側の外側には、幅60mの濠を作り、水が溜められました。
建設は百済を脱出した渡来人の指導で行われたそうです。
下の模型は、大宰府政庁跡に建てられている太宰府展示館にあったもので、南が上になります。
中央部分が大宰府政庁、政庁の上の山の小さく見える赤い囲いが基肄城、下の山の赤い囲いが大野城で、
大野城から西側の山までの間を塞ぐように築かれている土塁が水城です。
水城には、大宰府の城壁としての役割がありました。
水城訪問記(2019/06/15)
現在の水城は一部の土塁が残っているだけで、1.2Kmの間を道路や鉄道がたくさん横切っています。 当時の水城には東門と西門の2か所に入口があったそうなので、その跡を見て回ることにしました。
東門跡
はじめに東門から。そのそばに、続100名城のスタンプ設置場所「水城館」があります。
駐車場(水城跡第一広場)
下の写真の右後方に駐車場入口があります。車の進行方向正面が東門跡。左に見える木に覆われたところが水城の土塁で、道路の右に水城館が見えます。
福岡城を出たのは15時ですが、渋滞で駐車場に着いたのは16時15分。水城館の閉館時刻のわずか15分前でした。
何はともあれ、まずは水城館へ。駐車場は場所がわかりにくく、もう少し迷っていたら間に合わないところでした。
水城館(続100名城のスタンプ設置場所)
写真は閉館してから撮ったもの。建物の上が展望台になっています。
水城館上の展望台からみた水城
現在、土塁は木々に覆われています。
北側からみた水城
土塁外側の濠は今はありません。
東門から延びる古代官道
東門からは博多に繋がる公的に管理された直線道路が延びていました。
東門
東門礎石
木樋(もくひ)
太宰府側にある水路から地下を通して博多側の濠に水を流すための導水管だそうです。
西門跡
車でJR水城駅に移動し、水城駅前のコインパーキングに駐車。 西門のそばには駐車場がないのでここから歩くことにしました。
「ふるさと水城城公園」から大野城
水城駅は、水城の最寄り駅ということで駅前に小さな展示広場がありますので、まずはそちらに立ち寄ります。 ここは水城と大野城が見えるビュースポットとのこと。奥に見える山が大野城のようです。
土塁断面ひろば
ふるさと水城城公園横の「土塁断面ひろば」を見学。うーん、これはあまりありがたい感じはせず。
土塁断面広場より、水城駅を出発したばかりのJR鹿児島本線、817系。 水城と関係ありませんが、電車が通ると写真を撮りたくなってしまいました。。
西門跡
水城駅を反対側にまわって西門跡へ。こちらは北側から。
南側から。西門から延びる古代官道は迎賓施設にあたる筑紫館(つくしのむろつみ:鴻臚館)に繋がっていました。 鴻臚館の場所は、長らくはっきりしなかったのですが、昭和62年に福岡城内にあったことが裏付けられたそうです。
西門礎石
特別な案内なしに、無造作に置かれていました。
置かれていたのはこんな場所でした。
以上で散策終了。見学の所要時間は、東門と西門あわせて1時間45分でした。