100名城:福岡県太宰府市、大野城市の大野城に行く

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基肄城から移動し、本日3城目。 大野城は、福岡県宇美町・太宰府市・大野城市にまたがる四王寺山(大城山)の頂上に築かれた古代山城です。

その前に「大宰府政庁」に寄りました。基肄城の草スキー場からは車で約45分。 無料駐車場の収容台数は40台で、数分待って入れました。

大宰府政庁跡

「大宰府」とは、九州全体を統括し、外交と防衛の権限を与えられた行政機関のこと。
527年に起こった磐井の乱をきっかけに、 536年、ヤマト王権は、北部九州の支配確立と朝鮮半島政策を担う拠点として、 博多湾岸に「那津官家(なのつのみやけ)」という出先機関を設けました。 これが大宰府の前身。

663年、朝鮮半島での白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗。 その勢いのまま彼らが日本にまで侵攻してくることをヤマト王権は恐れ、 急遽各種の防衛策を実行しました。

665年、「那津官家」は現在地に移され、最前線の司令部としての役割が与えられました。 その前面には水城、後方の山には大野城、基肄城が築かれ、防備を固めました。

結局、唐・新羅が攻めてくることはありませんでしたが、 以後、大宰府政庁は地方最大の役所となり、その長官には大臣クラスの人物や皇族が就き、 西国の軍事、政治、文化の拠点として栄えました。

時が過ぎ、日本のシステムが律令制(個人を徴税単位とする個別人身支配)から、 土地課税基調体制へ転換していくにつれ、大宰府の機構も衰退していきます。 明確な時期は不明ですが、12世紀前半頃までには建物や施設が廃絶したと考えられています。

ということで、大野城と大宰府政庁はセットのようなものなのです。 大野城に行くときには、当初よりここにも立ち寄るつもりでした。

大野城は広いので、100名城スタンプの設置場所も数か所あります。 大宰府政庁跡にある「大宰府展示館」もその一つ。 丁度良かったのですが、難点はここのスタンプはインクが少し薄めでした。

大宰府政庁の建物は、発掘調査の結果、創建時を含めて三回、 形を変えていることがわかり、私たちが見ている遺構はその最後のものだそうです。

南門跡

奥に見える山が大野城です。

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中門跡

南門を入ったところ。

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正殿跡

正殿の基壇跡には石碑が建てられています。

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正殿跡を横から。

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回廊跡

政庁跡すべてにおいて、露出している礎石等は当時のものではなく、現物は見えているものと同じ位置の地中に保存されているそうです。

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後殿跡

その左右(東西)には櫓がありました。写真は後殿跡から正殿の方向を見て撮ったものです。

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大宰府展示館

政庁跡の南東隅にあります。100名城スタンプ設置場所。月曜休館。

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大宰府政庁の模型

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饗宴の膳

外交使節をもてなした料理。

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梅花の宴

「令和」の元になった万葉集の歌が詠まれたときの様子を表した博多人形。 令和が発表されたとき、テレビでよく映っていたやつです。

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大宰府政庁跡には45分ほど滞在。さて、ここに来ているほとんどの人は、 この後、話題の坂本八幡宮や、観世音寺、太宰府天満宮などに行くのでしょうが、私は大野城の山に向かいます。 途中、太宰府天満宮の前を通るので少し道は混みましたが、30分弱で城の南側にある焼米ヶ原駐車場に着きました。

大野城

時刻は15時。とても大きな山城なので、歩いて回っていたら日が暮れてしまいます。 しかも、自分は今日、久留米城、基肄城と見てきて、ここが3城目。体力的にもいっぱいいっぱい。 故に、比較的立ち寄りやすい見どころを、途中車移動もしながら見て回る作戦をとりました。

土塁・焼米ヶ原・尾花礎石群

駐車場から山に入ってすぐに、山腹を鉢巻きに囲う城壁の土塁が見えます。全長は8キロを超えるそうです。

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その土塁からの眺望も良好。太宰府天満宮なども見えているようですがわかりませんでした。

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すぐ近くに「焼米ヶ原・尾花礎石群」。 尾花礎石群の礎石の上には、高床倉庫があり、米が保管されていたと考えられています。 周辺から炭化したコメが見つかったことから「焼米ヶ原」と呼ばれています。

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城内には70以上の建物があったと言われています。

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大宰府口城門跡

先程の土塁の脇を下りていくと、その先に立派な城門がありました。 大野城には9つの城門があったことが知られていますが、ここは規模が大きいことから、正門ではないかと考えられています。写真の下部には城門の礎石も確認できます。

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城門の外側から。

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城門脇の水の手石塁。すごい。

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増長天礎石群・鏡池

駐車場の位置まで戻り、道路を挟んで反対側に入っていくと、4棟の高床建物跡が縦に並んでありました。 うち3つは整備中でビニールシートがかけられていました。

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鏡ヶ池

そのすぐ脇に鏡ヶ池。井戸跡とも考えられているそうです。

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その先、山を下って行ったところに「大石垣」という見どころがありましたが、 少し距離があり、帰りの登りがきつそうだったのでパス。

主城原礎石群

駐車場に戻って、車で城の北側に移動しました。百閒石垣の手前にみえる主城原礎石群の看板のそばに、 道の脇に数台ほど車を止められるスペースがあり、そこに停めて、山中に入りました。

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10分程でしたが、普通に山登りの道でした。 よくやく見えた礎石は、苦労の割にあまりはっきりとしたものではなく、ちょっとがっかり。 実は、礎石はこの周辺に広範囲にあり、ここはそのうちの北西あたりのもの。 もう少し中に行けば、大きい礎石もあったみたいですが、探して歩くのも疲れたのでここで来た道を戻りました。

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百閒石垣

最後に城の北側の守りを固める百閒石垣に行きます。 主城原礎石群の入口からすぐのところでした。 百閒石垣の目の前にも、道の脇にスペースがあったので、そこに車を停めました。

100名城スタンプの絵にもなっているところですが、うーん、 この時季はどうしても石垣が草に覆われてしまいますね。。

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この先に北石垣、小石垣という見どころもありますが、 少し暗くなってきて、体力的にも限界だったので、ここまでとしました。

感想

時刻は17時20分。着いたのは15時ですが、実は焼米ヶ原に着いてから一度、 大宰府政庁に忘れ物を取りに戻っていたりしたので、実質の所要時間は約1時間20分です。

一番良かった場所は「大宰府口城門跡」のところ。門の礎石、1350年前の石垣に迫力を感じました。 全体的には、基肄城と比べると車で移動出来るところがあるだけ楽でした。 心残りがあるとしたら、主城原礎石群の中心と、北石垣、小石垣のポイントに行けなかったことですが、 それでも見るべきところは、大体みられたと思うので、満足しています。

私が歴史に興味を持った入口は戦国時代でしたが、 城めぐりを続けているうちに、その前後の時代にも興味が広がってきました。 今回の旅では、福岡城の鴻臚館から水城、基肄城、大宰府政庁、大野城と古代の遺構をまわり、 とてもいい勉強ができました。





 

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