日本100名城:東京都千代田区の江戸城に行く

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皇居には一般参賀や何かの記帳などで何度か行っていますが、江戸城を見る目的で行ったことは一度もない気がします。せっかく近いところにいいお城があるのだからじっくり見ればよいはずなのに、 近すぎてなんとなくないがしろにしてきた感じ。今日はあらためて江戸城見学に出かけてきました。

とはいえ、江戸城は近世城郭最大の城。くまなく見ようとしたら、とても一日でまわれるものではありません。今回は、半日で、本丸を中心にポイントを絞って廻りました。

桜田二重櫓(巽櫓)

スタートは、「桜田二重櫓(巽櫓)」から。 東京駅から皇居に向かって行幸通りをまっすぐ歩き、内堀通りを越えたところに見える櫓です。 三の丸の東南角にある、監視と防御のための実戦的な櫓で、 本丸の富士見櫓、西の丸の伏見櫓とともに江戸城に現存する三基の櫓のひとつ。

下の写真のように、桔梗門と富士見櫓も一望することができます。 今日最初にこの場所に来たのは、「旧江戸城の建物が三つも揃って見えるおすすめビュースポット」として、 先日テレビで紹介されているのを見たからです。

江戸城

桔梗門

江戸期には、「内桜田門」という呼称が正式で、桔梗門は別称でした。 大名が登城する際の入口は、大手門か「内桜田門」と定められていたそうです。 門の警護には6-7万石の譜代大名があたっていたそうです。

江戸城

皇居一般参観

と、ここで皇居一般参観の看板を発見。 開催は祝日を除く、毎週火曜日から土曜日で、午前と午後に一回ずつ。 通常は入ることのできない皇居内を歩いて参観できるのだそうです。見学時間は約1時間。 当日申し込みも可能。定員は300名。午後は1:00スタートで、12:30から整理券を配布するとのこと。
現在の時刻は12:00。既に行列はできていますが、300名いる感じではありません。 ちょうどいいので参加することにしました。 こうした催しが土曜日に行われていることは知らなかったので、ラッキーです。

江戸城

一般参観の時間まで、もう少し皇居外苑の散策を続けます。

皇居外苑

「蛤濠」越しに見た坂下門

江戸期、坂下門は西の丸への通用門でした。 門を入ったところに坂があり、坂を上ったところに西の丸御殿がありました。 その坂の下にある門ということで、坂下門と名付けられたそうです。

現在、西の丸御殿のあった場所には皇居宮殿があり、坂下門は皇居への通用門になっています。 一般の人は、「皇居乾通り一般公開」と正月と天皇誕生日に行われる「一般参賀」のときしか、 通ることができません。

写真右にみえる石垣の土台の上には、明治元年の火災で焼失するまで「蓮池巽三重櫓」という立派な櫓が建っていたそうです。その姿を想像しながら歩くのもいいですね。
目の前の濠は「蛤濠」。江戸城にはたくさんの濠があり、ひとつひとつ名前がついているので、これも確認しながら歩いて行こうと思います。

江戸城

坂下門正面

もう少し坂下門の傍まで行って見ました。江戸期の坂下門は枡形構造で、外側の高麗門(こうらいもん)と内側の渡櫓門(わたりやぐらもん)で構成されていましたが、明治になって、高麗門が撤去され、高麗門のあった位置に渡櫓門を移しています。

坂下門といえば「坂下門外の変」ですよね。 幕末の1862年、老中安藤信正が水戸の浪士に襲撃された事件。桜田門外の変より地味ですが、、ここがその現場です。

江戸城

西の丸下

皇居外苑は、日比谷入江という海が入り込んでいたところを江戸時代に埋め立ててできた場所で、江戸時代には「西の丸下」と呼ばれていました。老中などの屋敷が並んでいたそうです。

下の写真の真ん中あたりに小さく見えている門はかつての「西の丸大手門」で、現在の「皇居正門」。 江戸城は、天皇家によって現在も使われているお城であり、 こういうところの呼びかたが、ちょっとややこしくなります。

江戸城

皇居正門(西の丸大手門)

西の丸大手門の頃の皇居正門は、枡形構造で、手前にもうひとつ高麗門があったそうです。 手前の橋は「正門石橋」。以前一般参賀に行ったときは、ここから皇居に入って坂下門から出ました。

江戸城

二重橋

西の丸内に架かる橋。現在の正式名称は「正門鉄橋」といいます。 江戸時代、1614年に建造された当初は、木造で二重構造の橋だったことがその名前の由来だそうです。

江戸城

二重橋と言えば、伏見櫓をバックにしたこの絵をイメージしますよね。 どちらかというと、手前の「正門石橋」を二重橋とか、正門石橋の奥にちらっと見える「正門鉄橋」とセットで二重橋と思っている人が多いと思いますが、本当は、後ろのちょっとしか見えない「正門鉄橋」が二重橋です。

江戸城

桜田門

江戸城の南側から、西の丸下に入る門。江戸期には、内桜田門(桔梗門)に対して、外桜田門と呼ばれていました。平安時代の頃よりこの辺りが「桜田郷」と呼ばれていたことからそのように名付けられたそうです。 枡形構造で外側に高麗門、内側に渡櫓門があります。写真は渡櫓門のほう。

江戸城

桜田門の枡形は現存する江戸城の城門の中でもっとも大規模なものだそうです。 一般参観の時間が迫ってきたので、枡形のほうまでは行かずに桔梗門に戻りました。。

皇居一般参観に参加する

こちらが12:30に配られた整理券。

江戸城

13:00にあらためて桔梗門の看板前に並び、ここで係の方に免許証などの身分証明書を見せて、 名札をもらいます。この先の受付の混雑を避けるためか、何名かずつで区切りながら、 桔梗門のなかに案内されました。

江戸城

桔梗門

桔梗門は通常は通ることができません。これは外側の高麗門。 私は一般参賀も乾通りの一般公開も行ったことがあり、皇居正門も坂下門も通ったことはありますが、桔梗門はこれが初めて!

江戸城

桔梗門(高麗門)手前から見た桔梗濠。 普段は通れないところからのレアなショットです。

江戸城

内側の渡櫓門。桔梗門は枡形構造が残っています。門を入ったところは三の丸になります。

江戸城

窓明館(そうめいかん)

門を入ってすぐのところにある施設。この前で手荷物チェックがありました。 なかに入って、先の整理券に必要事項を書き、受付を済ませて、全員集まるまでしばらく待機。 待機中に館内の売店でお土産を購入。ここでしか買えないレアなものもあるとのこと。 私は菊の御紋の根付、皇居の地図の下敷きなどを買いました。

ところで、桔梗門からここまでの写真は、実際は見学の帰りに撮りました。 来るときに係の方に写真を撮っていいか聞いたところ、帰りに撮れるので今はやめた方がいいと言われました。もたもたしてたらいけませんからね。

江戸城

窓明館の中にあった案内図で参観コースを確認。 参観は、英語、スペイン語、ドイツ語、中国語、韓国語、日本語の言語別にグループにわかれ、 それぞれのガイドと一緒にまわります。日本語グループは最終組。 外国語のガイドも日本人のようでしたが、流ちょうに話す姿がとてもカッコよく見えました。

江戸城

江戸城

13:45頃、日本語ガイドさんの「それでは出発しましょう」の合図で参観スタート。

旧枢密院

大正10年完成の建物。国会議事堂のモデルだそうです。 枢密院とは、戦後新憲法が制定されるまで存在した天皇の諮問機関で、 メンバーは親王や行政経験者など。彼らが天皇からの政治的な質問に受け答えをしていました。 現在は皇宮警察本部として使用。
正面にまわることはできず、斜め撮り。

江戸城

桔梗門脇の石垣

江戸城

真ん中あたりに「丸に十」のマークが見えるでしょうか。 江戸城は、徳川家が各地の大名に工事をさせた城。ここは薩摩藩・島津家が担当だったようです。

江戸城

富士見櫓

本丸南端の櫓。現存の三重櫓は1659年の再建。 下の石垣は築城の名手、加藤清正が作ったと言われており、大正12年の関東大震災でも崩れなかったそうです。

江戸城

江戸城

宮内庁庁舎

昭和10年に建築された建物。戦後、昭和43年に宮殿が完成するまで仮宮殿として使われていたこともあるそうです。ここから西の丸のエリアになります。

江戸城

坂下門

今日、一般参観の前に外側から見た「坂下門」を内側から。 元あった枡形の名残で、何となく道がカーブしています。

江戸城

西の丸から見た富士見櫓

坂を上っていく途中、振り返ったところに、本丸の富士見櫓が綺麗に見えました。

江戸城

長和殿(ちょうわでん)

皇居宮殿の建物の一つ。長さが160mあり、宮殿で最も長い建物。 一般参賀の時に天皇がお出ましになるところです。

江戸城

手前の広場は宮殿東庭(とうてい)といい、石畳は香川産の安山岩だそうです。 白線が一般参賀のときの最前列なんですって。正面の黄色いものは、有田焼の燈籠。

江戸城

長和殿左側の大きな玄関は「南車寄せ」で、各国の大統領や大使など外国の国賓が利用されるそう。

江戸城

「宮殿東庭」の広さは、約4500坪で、一度に約2万人が参賀できるのだそうです。

江戸城

ところで、なぜ天皇の住まいが江戸城の旧本丸ではなく、西の丸なのでしょうか。
江戸末期、本丸と二の丸の御殿は損傷し、使い物にならなくなっており、 幕府の人たちも、西の丸御殿を使用していたのだそうです。 そのため、明治天皇が幕府と入れ替わって入城したときも西の丸御殿を使い、 その流れで、現在も西の丸を使っているのだそうです。

続いて、二重橋(正門鉄橋)へ。

江戸城

二重橋の上から見た皇居外苑

一般参賀のときにも二重橋を渡りますが、こんな写真を撮っている余裕はないので、 一般参観ならではの、レアなショットです!

江戸城

二重橋の上から見た伏見櫓

普段、皇居外苑から二重橋越しにしか見えない伏見櫓も、一般参観なら近くで見ることができます。 伏見櫓は、西の丸の西南隅に建てられた二重櫓。白壁の多聞櫓と続いています。 3代将軍家光のとき、京都の伏見城から移築したものと伝えられていますが明確な証拠はありません。

江戸城

二重橋

二重橋を渡り切ったところで、長和殿のほうに折り返しました。

江戸城

長和殿北車寄せ

総理大臣をはじめ、主に日本人のお客様が使用される玄関。

江戸城

山下通りから正殿の方向

豊明殿の前を通って山下通りへ。写真の右側、見切れている方向に「紅葉山」があります。 紅葉山は西の丸の北にある小山で、江戸時代には歴代将軍の霊廟がありました。 大正3年には「御養蚕所」が建てられ、ここで歴代の皇后が蚕を育てられています。

江戸城

蓮池

山下通りを下り、宮内庁庁舎まで戻ってきました。 「蓮池」は本丸と西の丸の間の濠。正面に少し白く見えているのは、本丸の富士見多聞。 江戸城本丸にあった15棟の多聞櫓の中で唯一の現存遺構です。

江戸城

桔梗門

窓明館の前まで戻り、桔梗門で名札を返却して、これで皇居一般参観は終了。 楽しかった!とてもいい時間でした!

江戸城

皇居東御苑

皇居一般参観を終え、桔梗門から大手門のほうにまわりました。 こちらが江戸城の中心部になります。一般参観がなければ、今日はここがメインのつもりでした。 時刻はまだ15:00なので、どんどんいきましょう。

「桔梗濠」越しに大手門

大手門は江戸城の正門。幕府は枡形門や石垣の築城を伊達政宗に命じたそうです。 現在の門は、昭和43年に再建されたもの。

江戸城

皇居東御苑案内図

東御苑の出入り門は、大手門、平川門、北橋門の三か所。 月金休園。入園は無料ですが、入口で手荷物チェックがあります。 今日は、大手門から本丸のほうを見て、北桔橋から外に出るつもり。

江戸城

大手門

高麗門。

江戸城

高麗門を反対側から。

江戸城

渡櫓門。

江戸城

大手門を入ったところの発券所で入園券をもらいます。 後ろに見えている建物は三の丸尚蔵館。入場無料の皇室より寄贈された美術品を展示するミニ博物館。

江戸城

同心番所

道なりに歩いて行くと、建物がありました。 番所とは警備の詰所のこと。ここは大手門から入城した大名が最初に通る番所です。

江戸城

百人番所

大手三の門前に設けられていた最大の番所。

江戸城

道は二の丸と本丸に行く道に分かれますが、本丸のほうへ。

中の門

1658年、熊本藩・細川家によって普請された門。1703年、「元禄大地震」で倒壊後、鳥取藩・池田家によって石垣が修復されました。その後、平成17-19年にかけて解体修復工事が行われましたが、石垣の積み方は往時のままなのだそうです。
石垣は江戸城内で最も大きいものが使われているそうです。さらに、門の上には渡櫓がありました。 想像すると威圧感がすごい。江戸城はとにかくスケールが違います。

江戸城

大番所

本丸への最後のチェックポイント。建物は昭和41年に復元したもの。

江戸城

中朱雀門

本丸への入口の門。これも立派。

江戸城

枡形を形成していたことがわかります。

江戸城

本丸展望台より北東の二の丸方向

中朱雀門を入って、右手の道を少し行ったところに「展望台」がありました。 この展望台は、本丸東の台所前櫓があった石垣の上になります。 手前にみえる濠は本丸と二の丸の間の白鳥濠です。 二の丸との段差は、ここがかつての日比谷入江の海岸段丘の「ヘリ」だからとのこと。

江戸城

本丸御殿跡

江戸時代、本丸の中はびっしりと建物が建っていました。南側から表、中奥、大奥となっていて、 下の写真は、中奥があったあたりから大奥に向かって撮ったもの。

江戸城

ここまで来て気づいたのですが、11月の大嘗祭にあわせて大嘗宮の建設中で、本丸の北側半分は立入禁止になっていました!

江戸城

仕方がないので、本丸南側の残りの見られるところを見てから、 入ってきた中朱雀門、中の門を出て、二の丸のほうから本丸の北側にまわります。

富士見櫓

皇居一般参観で間近に見た櫓を本丸の内側から。

江戸城

松の大廊下跡

忠臣蔵の舞台となった松の廊下の跡は、それを示す石碑があるだけ。

江戸城

本丸は一旦ここまで。百人番所まで来た道を戻り、二の丸側の白鳥濠沿いを歩いて北上します。

汐見坂

二の丸と本丸をつなぐ坂。 二の丸側から見たところ。かつては坂の上に汐見坂門があり、門の先には大奥がありました。 今日は立入禁止なので、ここから見るだけ。

坂の左と右で少し石垣の積み方が異なりますが、左のほうは徳川家康の時代に造られた石垣だそうです。 実は家康の頃の石垣はあまり見られないので、貴重みたい。

江戸城

梅林坂・汐見坂間石垣

本丸東側の石垣。ここの石垣も迫力がありました。角には汐見太鼓櫓が建っていたようです。

江戸城

梅林坂

室町時代、扇谷上杉家の家臣の太田道灌が江戸城を築城した頃から、 ここには梅林があったそうです。ここを上がって再び本丸に入ります。

江戸城

坂の上には梅林御門がありました。現在は石垣だけが残っています。

江戸城

天守台

大嘗宮建設のため、立ち入り禁止で遠くから見るだけ。。

江戸城

時刻は16:00過ぎ。もう結構へとへと。 お城の中はこれくらいにして、北桔橋門から外に出ることにしました。

北桔橋門(きたはねばしもん)

従来は枡形門で、外側の高麗門と内側の渡櫓門で構成されていました。 今は、渡櫓門が撤去され、高麗門だけが残っています。

江戸城

北桔橋の上から、西方向の乾濠。 乾濠の奥の方に見えるあたりは「吹上」といい、天皇の住む御所があります。当然、我々は入ることができません。
吹上には、江戸初期、大名の屋敷が建てられましたが、明暦の大火後は、火除のための庭園となったそう。 その後変遷を経て、幕末の頃にはただ荒廃していたところを、明治になってから整備していったようです。

江戸城

高麗門を正面から。

江戸城

平川濠に沿って東に歩き、お城の外から北桔橋門。 この門は大奥に直接つながる門ということで、濠は深く石垣は高く、厳重に作られました。 橋は跳ね上げ式で、通常は跳ね上げられていたそうです。

江戸城

平川濠

北桔橋の東側の濠。幾重にも曲がった石垣がカッコイイです。

江戸城

平川門

平川門は江戸城の裏門で、大奥の女中たちの通用門。また御三卿の登城口でもあったようです。 高麗門、渡櫓門、木橋が揃って残っているのはこの門だけとのことで、 中のほうにも行きたかったのですが、 時間も時間で警備の手荷物チェックなど面倒そうだったので外側から見るだけにしました。

江戸城

平川橋の上から竹橋の方向を見たところ。

江戸城

大手濠から平川門を見たところ。

江戸城

16:30。以上で今日の江戸城散策は終了。 想定外の立入禁止区域はありましたが、西の丸下~西の丸~本丸~二の丸~三の丸にかけて、 主要なところはだいたい見られたのではないでしょうか。 いつもの小学生並みの感想ですが一言、やっぱり江戸城はすごかった!

この次は、今日行かなかった半蔵門など西側の濠周辺と、北の丸、外濠などを攻めていきたいです。 ふらっと行っただけでは何だかわからない領域になってくるので、その前に下調べをしないといけません。





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