苗木城から移動し、本日2城目。16:20に高島公園(本丸跡)の西側駐車場に着きました。
高島城の歴史
諏訪の地は、諏訪大社の御祭神である建御名方神(たけみなかたのかみ)が拓いたとされ、
古来より、その末裔とされる大祝(おおほおり・最高位の神官)家が
「諏訪氏」を名乗り、治めてきました。
戦国時代に入ると武田信玄の統治下におかれますが、1582年に織田・徳川連合軍により武田氏は滅亡、
その後起こった本能寺の変で織田信長も倒れると、
信玄に滅ぼされた宗家当主の従弟にあたる諏訪頼忠が、混乱の中で旧領を回復しました。
頼忠は徳川の家臣となり所領を安堵されますが、
1590年、秀吉によって家康が関東に転封されるのに伴い、諏訪を離れます。
高島城の築城は、頼忠に代わって諏訪に入封した豊臣家臣の日根野高吉(ひねの・たかよし)によるもの。
それ以前の高島城は現在地より北方にあった山城でしたが、安土城や大坂城の建設にも携わった築城の名手、日根野高吉が、
1592年から1598年まで7年の歳月をかけて、諏訪湖の湖畔に近世城郭を築きました。
1598年に秀吉が亡くなり、1600年、関が原の戦いで家康が勝利すると、1601年、頼忠の子・諏訪頼水(よりみず)が家康の恩恵によって高島藩主として旧領に返り咲きました。
以後、高島城は諏訪氏30000石の居城として、明治維新を迎えるまでその威容を誇りました。
西側入口
現在は本丸部分しか残っていませんが、かつての高島城は、
四角形の本丸を、南・東・北方向からコの字型に二の丸が囲い、その北側に三の丸が配置された連郭式のお城でした。
西方の諏訪湖まで、今は800mの距離がありますが、当時の諏訪湖は現在よりも大きく、城は湖岸に接していました。
石垣をくり抜いたこの入口は当時のものではないはず。
高島公園案内図
本丸のかたちは、ほぼ当時のまま残っています。建造物は、 明治になってからすべて破却あるいは移築されましたが、 昭和45年に天守、冠木門、角櫓など一部が復興されました。
天守閣
続100名城のスタンプを押すため、まずは天守へ。 独特な天守は、破却前に撮られた写真を参考に、当時の姿を鉄筋コンクリート造で再現したもの。 瓦はこの角度では見えませんが、現在の銅板葺と違って、当時はヒノキの薄い板の杮(こけら)葺き。 全体的に茶色い御殿のような天守だったようです。窓の位置など細部に違いがあるため外観復元とは呼ばないそう。
開場時間が17:30までと思っていたら、10/1-3/31の間は16:30までで、
さらに入場は16:00までと書かれた案内板を見てびっくり。
このとき時刻は16:20。受付の人に恐る恐る「もうダメですか」と尋ねたところ、
「あと10分しかありませんが、それでもよければ」といわれ、迷わず入りました。
続100名城スタンプを忘れずに押してから、すぐ3階の展望室に上りました。
天守閣三階
東側と西側に展望台が設けられています。
南東の方向には、なんと富士山が見えました。わかるでしょうか。
西には諏訪湖。
東の眼下には、本丸への表玄関、冠木橋(かぶきばし)。
その後、2階と1階の展示をざっと見て、時刻は16:35。 閉館時刻は少し過ぎていましたが、追い出されることはなく、声を掛けられる前に自ら退出。 ぎりぎりですが、ひととおり見てまわることはできました。
冠木門(かぶきもん)
現地説明板によると、「冠木門」とは本来、左右の柱の上部に一本の貫(ぬき)を通しただけの簡単な門のことですが、
江戸時代の絵図だとここに屋根付きの門があり、築城時に冠木門だったものが後に建て替えられ、名前だけが残ったものだそう。
現在の門は、細かな形状についての資料がなかったため再建時に新たに設計された復興門。
本丸側から。
高島城本丸絵図
本丸の広い空間にはびっしり建物があったようです。
本丸
冠木門を入ったところから全景。先の絵図によれば入口は枡形のつくりになっていて、 正面には番所があったようですが、今は見通しがよくなっています。
能舞台跡
御殿の北東部分には能舞台もあったよう。
角櫓
本丸北東の櫓。復興。
高島城亀石
元々城内の庭園にあった石で、廃藩時に城外に移されていたものが、平成19年に戻ったのだそう。 水を掛けると願いが叶うのだとか。
石集配湯枡
高島城の三の丸にあったもの。江戸時代の高島城には温泉も引かれていました。
小天守跡
天守手前の石垣。小天守は資料がなく再建されなかったそう。
川渡門(かわどもん)
西の諏訪湖に面した門で、ここから舟で湖に漕ぎ出すことができたそう。 三の丸御殿(藩主別邸)にあった現存の門が移築されています。
諏訪護国神社
明治33年創建の神社。江戸時代は長局とよばれる大奥にあたる部屋があったあたり。
土戸門(つちどもん)
南の門。二の丸に出る勝手口。ここから出て、外側から東の石垣と堀を見ていきます。
富士見櫓
本丸南東の櫓跡。先ほど天守から見た富士山がここからも見えたはず。
持方月櫓
富士見櫓と角櫓の間にある櫓の跡。パンフレットでは、読み方不明とありましたが、 現地の案内板には「もちかたつきやぐら」とかながふってありました。
持方月櫓~角櫓~冠木門~天守
広角で撮って見ました。こうしてみると、水堀も広くて立派。
角櫓~冠木門~天守
このあたりが定番の撮影スポットみたいです。
冠木橋~天守
天守
北側の堀を西方向から
北の城下のほうにも少しだけ歩いてみました。
三の丸橋
二の丸と三の丸の間を流れる中門川にかかる橋。三の丸側から。築城当時の木橋は本丸に唯一繋がる橋でした。 昭和8年にコンクリート橋にかけ替えられてから、平成30年に鋼橋にかけ替えられたばかり。
三の丸湯跡
天明6(1786)年に造られた温泉。平成8年まであったそうで、出ている水をさわってみたら温かいお湯でした。
中門川
現地説明板に、橋の左岸上流に二之門の石垣が残るとのこと。写真の右側に見える石垣のことかしら。
以上で散策は終了。所要時間は1時間でした。諏訪地方の澄んだ空気は独特で、そこにいるだけで身が清められる感じがします。 諏訪大社と諏訪氏の関係は、もう少し深堀りしてみると面白そう。また諏訪大社へ参拝しに、訪れたいと思います。