今年はコロナ禍で外出を控えなければならない夏休みになりましたが、
家に籠り過ぎても体に悪いので、厄除けに日帰りで寒川神社に行ってきました。
寒川神社は、日本で唯一の八方除けの守護神として広く知られており 、
お正月シーズンでなくても祈祷を受けられる方がたくさん来られています。
言葉では上手く伝えられないのですが、不思議な綺麗さがある神社です。
寒川町は、神奈川県の中央部に位置する町で、北を海老名市、南を茅ケ崎市、西を平塚市、東を藤沢市と接しています。
古代、平塚から茅ケ崎にかけての土地は海で、寒川神社は相模湾に接してたようです。
周辺には縄文時代の遺跡や祭祀跡などが数多く残っており、海岸線から
神社の横を流れる目久尻川の上流にある海老名あたりまでのところが、
相模国で最初に拓けた場所だったようです。
御祭神と御由緒
御祭神は寒川比古命・寒川比女命の二神で、
相模国を中心に広く関東地方を開拓し、衣食住など人間生活の根源を開発指導された神さまとのこと。
ただ、御祭神が寒川比古命・寒川比女命と決められたのは明治時代に入ってからでした。
主に鎌倉時代までは寒川神、南北朝以降明治の初めまでは八幡神(15代応神天皇)といわれていたそうです。
あやふやなのは、同社が何度も火災に遭って記録が消失したからなのだそう。
そんなわけで創建時期も不詳ですが、21代雄略天皇(456-479)の御代には奉幣、45代聖武天皇の神亀四年(727)には社殿建立と伝える記録があることから、少なくとも約1600年の歴史を有しています。
武士の世の中になってからも、源頼朝、北条氏、武田氏、徳川氏より社殿や社領などの寄進を受け、
篤く崇敬された大社であります。
ところで、古代において、サムには「清い」、カワには「池」という意味があったようです。
ちょうど寒川神社裏手の神苑にも、古来よりあがめられてきたと伝わる
「難波の小池(なんばのこいけ)」という神池があります。(御祈祷を受けた人だけが見学可)
御祭神や創建時期は不明であっても、太古の頃より信仰の対象とされてきたであろう池が、
しっかり実在しているところに歴史のロマンを感じます。
日本で初めて行政区画が定められたのは、13代成務天皇(せいむてんのう)の頃といわれており、
このとき、この地域に勢力のあった氏族が「相武国造(さがむのくにのみやつこ)」に任じられました。
寒川神社は、この国造の子孫が祖先を祀るために創建したものと考えられているそうです。
参拝日:2020年8月14日(金)
寒川神社への参拝は、全国一の宮巡拝をしていた2011年2月以来、9年ぶり。 そのときの写真があまりないので、今回はたくさん写真を撮ってきました。
境内図
図の上方にある第三駐車場に車を停めました。その下に見える14番の馬場を横切って、 境内図の現在地へ。10番の三の鳥居ほうから見ていきました。
神池橋と三の鳥居
一の鳥居と二の鳥居はもっと南にあるようです。
参道
末社・宮山神社
三の鳥居の左手、道を挟んだところにある末社。末社ですがかなり立派です。
南門
昔の神門を移築したものだとか。
客殿
南門をくぐったところ。正面の建物が客殿で祈祷や御朱印の受付になっています。 左手奧に見えるのが現在の神門です。
手水舎
神門
拝殿
馬場
参道と並行に伸びる馬場。 奥にちらっと見えるのが御本殿の屋根でしょうか。 奥に神苑がありますが、御祈祷を受けないと見学できません。。
天皇陛下御即位御大典記念樹
境内には皇室関係の行事を記念する植樹がたくさんあります。 この木も大きくなっていくのでしょう。
やはり参拝しに来てよかったです。パワーをもらえた感じがしました。